分子生物学教室は、生化学第二講座として1991年に新設されました。戦後の生化学領域の爆発的な発展を受けて昭和50年(1975年)に東大に生化学第二講座(今堀和友教授)が設置されたのを皮切りに、全国の大学に同様の講座が設置されました。その最後が当教室で、福浦の付属病院が開院した平成3年(1991年)に新設されました。キャンパスが浦舟から福浦に移転した昭和62年(1987年)の段階で、既にB棟4階の一画に講座のスペースが確保され、講座開設時には施設改装費(1億数千万)と、初度調便と呼ばれる研究設備費(7千万)という予算が用意されておりました。講座新設が医学部の長年の計画に基づいて行われたものであることが伺われます。
1991年(平成3年)5月、当時東京都臨床医学総合研究所(遺伝情報研究部・鈴木紘一部長)の研究員であった大野茂男が教授として赴任し、現在に至っています。余談になりますが、大野は上述した東大の生化学第二講座新設時の今堀和友教授の最初の大学院生でした。秋からは平井秀一助手(現准教授)と水野恵子助手を迎えて教員3名の体制が整い、講義と実習が始まりました。1年後には予定通り教員5名の枠が確保されました。
当教室には、様々な目的をもった人たちが、共通に「優れた研究の推進と成果の世界への発信」を目的として集ってきています。教室運営の一貫した基本方針として、「研究推進の原動力としての個人プレイの尊重」と「立場を超えた自由な議論を踏まえたチームプレイの実践」を掲げてきました。これらは独創的な研究の遂行に最重要の姿勢であると同時に、質の高い仕事が要求される場での共通の原理でもあると考えています。このような私たちの教室を巣立った方たちは、既に様々な領域で活躍し初めていますが、今後さらに大きく飛躍し21世紀の生命科学を切り開く中心となってくださるものと期待しております。
医学部学生に対する教育面では、「遺伝情報の発現プロセスと制御」、「細胞増殖因子などによる細胞応答のプロセスと制御(シグナル伝達)」を二つの柱とするカリキュラムを通じて、科学的な考え方を学ぶ貴重な機会を提供してきています。
大学院教育と研究面では、シグナル伝達系の解析を武器とした研究を行ってきています。なかでも、「細胞極性」と「mRNAサーベイランス」という、分子生物学・分子細胞生物学の新分野を開拓に大きく貢献してまいりました。さらに、これらを通じて新しい時代を切り開くことのできる研究者の養成を進めています。また、一連の成果を踏まえ、新規の疾患モデルマウスの作成(乳癌発症モデル、糸球体腎症発症モデル)、新しい原理に基づく創薬など、次世代の医療への直接的な貢献を目指した研究を総勢30名余りの体制で進めています。
当教室は、上述した研究を進める目的で比較的大きな規模の研究室の維持に努めて参りました。また、国内外の大学、研究機関、企業などと様々な形での共同研究を進めると同時に、国内外の研究者に対して研究ツールの提供を行っています。これら一連の活動は、外部資金の導入なしには不可能です。それを可能としているものは、教室発足から現在までの17年間に教員、博士研究員、大学院学生、或いは全く自発的に教室の研究に参加してくださった人たち、そして縁の下で皆を支えてくれている有能な技術員と秘書さん、延べ130名に及ぶ方々の血と汗の結晶、共同の成果としての研究成果です。
21世紀を迎えて大学改革という大きな波が押し寄せ、大学における教育研究の質の向上に向けた取り組みが全国で行われることとなりました。その柱は大学院博士課程における教育研究の質の向上にあり、その先駆けとして文部科学省の21世紀COEプログラムが開始されました。横浜市大は平成15年度の医学分野において「細胞極性システム研究に基づく未来医療創成」とのテーマで公立大学のなかで唯一採択され、平成19年度まで5年間に約7億円の支援を受けました。ここでは細胞極性というキーワードを掲げ、学内での共同研究を推進することを主眼としてプログラムを遂行しました。同時に、高度研究の支援体制の整備、大学院学生への経済支援(5年間で延べ約150名)や英語プレゼンテーションプログラム(5年間で延べ約90名)などを行いました。当教室は、教室をあげてこの遂行に取り組みました。これら試みのいくつかは、先端医科学研究センターや、平成20年度に新たに採択された文部科学省の振興調整費(先端融合イノベーション創出拠点形成プログラム)に受け継がれています。
当教室の活動に関してさらにご理解いただくためには、以下の教室員に対するメッセージが参考になります。
・研究室のメンバーへのメッセージ | |
・研究という知的作業の実際 |