「構造解析」領域

「生体分子高次複合体の分子構造と機能翻訳後修飾と転写制御」 緒方 一博

1.研究の背景と目的

様々な疾患は生体分子の翻訳後修飾の制御異常によって引き起こされ、これらの疾患に対する診断・治療法の開発には、翻訳後修飾に関わる分子の構造情報が重要である。例えば、細胞内情報伝達分子の異常活性化によって引き起こされるがんや各種生活習慣病に対して、原因蛋白質を標的とした分子標的療法が近年盛んに開発されつつあるが(zhangら Nat Rev Cancer9:28,2009)、このような治療のアプローチは、分子標的としての酵素の分子構造を基盤として発展し、大きな成果を挙げている。しかし一方、現在の分子標的療法では標的分子の多くが細胞膜あるいは細胞質の酵素、特にリン酸化酵素に限定されており、特定のリン酸化酵素の機能制御異常が関与する疾患にしか顕著な治療効果を期待できない点が重要な課題となっている。例えば、がんなどのようにG蛋白質や転写因子など、酵素以外の分子を含む複数の分子変異が関与する細胞システムの異常に起因する疾患では、分子標的薬が細胞の増殖異常を完全に抑えることができないため、治療効果は限定的となる。それに加え、細胞の異常増殖に伴う遺伝子の絶え間ない変異などにより生ずる薬剤耐性の問題についても、克服することが困難な状況となっている(Janneら Nat Rev Drug Discov8:709,2009)。これらの課題に対処するためには、酵素以外の分子について、蛋白質間相互作用や蛋白質-核酸間相互作用を対象とした分子標的療法の開発が望まれる。そこで、本研究では、転写因子をはじめとした転写関連蛋白質の翻訳後修飾による遺伝子発現制御機構を分子構造レベルで解明し、転写因子そのもの、あるいは転写因子の翻訳後修飾による活性制御に関わる酵素分子を標的とした創薬を試みることを目的とする。

2.主な研究成果

転写因子は、遺伝子発現制御の引き金となる蛋白質で、多種多様な組み合わせで標的遺伝子のエンハンサーに結合して転写因子高次複合体(エンハンソソーム)を形成し、転写を制御する(Tahirovら Cell 104:755,2001; Tahirovら Cell108:57,2002;Ogataら Curr Opin Struct Biol13:40,2003)。エンハンソソームは、さらに、細胞環境に応じた特異的な細胞シグナルにより、エンハンソソームの構成成分である転写因子が翻訳後修飾を受けることで形成が制御され、細胞の分化誘導や細胞の機能発現が惹起される。本研究では、シグナル依存的な転写因子の化学修飾によるエンハンソソーム形成への影響を分子構造レベルで解明するために、リン酸化によって活性が制御される転写因子で、原がん遺伝子産物であるEts1、および酸化修飾によって機能制御を受ける転写因子Nrf2に注目して研究を行った。

1) 転写因子Ets1の翻訳後修飾によるエンハンソソーム形成制御機構の研究および転写因子を標的とした創薬の試み

リン酸化シグナルカスケードに代表される細胞内翻訳後修飾カスケードは、細胞内外からのシグナルを膜受容体から核内に伝え、遺伝子発現を特異的に制御する役割を担っていると考えられているが、その機構についての分子構造レベルでの理解はほとんどなされていない。わずかに一部の単一の転写因子について、化学修飾を受けることによってDNA結合活性や転写共役因子との結合活性が制御される機構が報告されているに過ぎない。しかし、転写因子は単体で機能することはほとんどなく、複数の多様な転写因子が標的遺伝子のエンハンサーに結合した高次複合体(エンハンソソーム)として転写制御の機能を発現することから、標的遺伝子のエンハンソソームに対する翻訳後修飾の作用を解析することが重要と考えられた。
転写因子Ets1は、DNA結合ドメインであるEtsドメインの近傍が特異的にリン酸化されるとDNA結合活性が失われることから、このリン酸化カスケードはEts1を負に制御するシグナルとして考えられていた。ところがT細胞系の抗原受容体α/β鎖遺伝子tcrα/βに着目して、このリン酸化カスケードを惹起する細胞シグナルを加えてみたところ、Ets1はDNAから解離せずにエンハンソソーム内に留まり、転写活性化に寄与することを見いだした。T細胞では、このリン酸化カスケードは抗原刺激をトリガーとしたカルシウムシグナルに依存するため、T細胞が抗原刺激を受けると一種のポジティブ・フィードバックシステムが確立する可能性が考えられた。そこでB細胞系の表面受容体Igα鎖遺伝子igαや、非リンパ球系のストロメライシン遺伝子stromelysin 1など、他のEts1の標的遺伝子について、リン酸化シグナルによるエンハンソソームへの作用を調べたところ、これらのエンハンソソームはいずれも解離し、転写は不活性化された。このように、同様の翻訳後修飾を受けたEts1が標的遺伝子の違いによって及ぼす作用が異なる分子機構は、Ets1と協調的に作用する転写因子の違いによることも明らかになった。
これらの結果から、翻訳後修飾カスケードは、翻訳後修飾を介して転写因子を単に正や負に制御するのではなく、転写因子の翻訳後修飾を通して標的遺伝子の「絞り込み」を行っていることが考えられた。さらに、これらの機能解析を踏まえ、tcrαエンハンサー上において、Ets1と協調的に作用する転写因子Runx1-CBFβヘテロ2量体を含むEts1-Runx1-CBFβ-
DNA複合体の分子構造(分解能 2.3Å)をX線結晶構造解析により決定し、Runx1によるDNAを介したEts1のアロステリック制御機構を解明した。現在、Ets1やRunx1-CBFβと共に天然のtcrαエンハンソソームを形成する他の転写因子も含め、翻訳後修飾によるtcrαエンハンソソーム形成制御の機構の全容解明を目指し、Runx1-Runx1-DNA複合体(分解能2.3Å)(投稿準備中)、Runx1-CBFβ-LEF1-DNA複合体(分解能3.1Å)、(Runx1-CBFβ)2-Ets1-DNA6者複合体(分解能3.8Å)などの解析を継続している。
一方、上記の解析と並行して、得られた分子構造情報を基に、インタープロテイン株式会社との共同研究により、転写因子Runx1を標的とした阻害薬のデザインに着手している。Runx1は、急性白血病において最も高頻度に変異が認められる分子として知られており、薬剤標的として古くから注目されてきた分子であるにも関わらず、他の転写因子を標的とした創薬の試みと同様、これまでに成功例の報告はない。本研究では、Runx1を標的とした創薬は従来法では難しいと考え、新規の創薬方法であるINTENDO法による薬剤デザインを試みている。インタープロテインによって独自に開発されたINTENDO法は、分子構造を基に3Dプリンターによって作製した高精度の分子模型を用いて薬物の標的部位を絞り込むもので、活性を有する候補薬物の同定に高い確率で成功した実績をもつ。現在、Runx1-CBFβ-DNA複合体の模型を作製し、絞り込んだ標的候補部位に対するin silicoスクリーニングを行っている。

2) 転写因子Nrf2による標的遺伝子発現制御機構の研究および分子構造に基づく転写因子を標的とした創薬の試み

翻訳後修飾シグナルカスケードによる遺伝子発現制御の機構研究において、もう一つの解析対象として細胞の酸化ストレス応答をテーマに研究を進めている。酸化ストレス応答とは、本来還元的環境下にある細胞内が、酸化物質などの作用により酸化状態に傾いた場合(これを酸化ストレスという)、抗酸化蛋白質群や解毒酵素群などの酸化ストレス応答遺伝子の発現誘導により還元的環境を維持しようとする細胞の防御反応のことである。酸化物質に対する細胞のセンサーとなる分子としては細胞質に存在するKeap1蛋白質が知られており、酸化ストレスがない状態ではKeap1は抗酸化ストレス遺伝子の発現を誘導する転写因子Nrf2(NFE2L2)と結合し、ユビキチンリガーゼとしてNrf2を不活性化している。酸化ストレス存在下では、Keap1のシステイン残基が酸化物質による翻訳後修飾を受けることでNrf2がKeap1から遊離して核内に移行し、Nrf2は協調的に働く様々な転写因子とともに標的遺伝子上でエンハンソソームを形成し、酸化ストレス応答遺伝子の転写が誘導される。Keap1やNrf2の機能不全による酸化ストレス応答の異常は、がんの他、アルツハイマー病、パーキンソン病、多発性硬化症などの神経変性疾患、動脈硬化などの心血管障害、糖尿病などの代謝性疾患など、様々な疾患の進展に関与していることが報告されている。また、最近では、肺がんをはじめとした各種のがんにおいてNrf2の異常活性化が認められ、これにより、がん細胞が、抗がん剤のもつ細胞障害作用に対して耐性を獲得し、患者予後の悪化につながることが報告されており、治療薬の標的としてのNrf2への注目が高まっている。
そこで本拠点ではNrf2を標的としたがん分子標的療法の開発を目指し、Nrf2を含むエンハンソソームの形成制御機構の研究を行っている。Nrf2は、MafGをはじめとする様々な塩基性ロイシンジッパー(bZIP)型転写因子とヘテロ2量体を形成し、標的遺伝子のエンハンサー領域に存在するARE(Antioxidant Response Element)と呼ばれるDNA配列に結合し、標的遺伝子の発現を誘導する。これまでに、MafGホモ2量体(Nrf2非存在時における不活性化型)が強く結合するMARE配列(MAf-Recognition Element)を含むDNAおよび第2相解毒酵素nqo1エンハンサーに見られる天然型AREを含むDNAのそれぞれと、Nrf2-MafGヘテロ2量体との複合体のX線結晶構造解析を行い、CNCドメインおよびbZIP構造を有するNrf2がMafGやDNAと相互作用する様式を明らかにした。さらに、得られた分子構造を基に、Nrf2を標的とした薬物を探索する目的で、大阪大学蛋白研の中村春木教授の研究グループとの共同研究によりin silicoスクリーニングを行い、Nrf2のDNA結合を阻害する候補化合物をリストアップした。これらの化合物について、国立がんセンター太田力室長の研究グループとの共同研究により、細胞を用いて候補薬物による標的遺伝子の発現を阻害する活性を評価した結果、肺がん細胞において酸化ストレス応答遺伝子の発現上昇を抑える2種類の化合物を見いだしている。

3.今後の研究方針

本研究では、翻訳後修飾による転写制御機構の分子構造学的研究を基盤とし、これまでに成功例のない、転写因子を標的とした創薬研究に取り組んでいる。Runx1を標的とした阻害薬については、INTENDO法に基づくin silicoスクリーニングに続いて、in vitroでの化合物スクリーニングを行い、表面プラズモン共鳴法や核磁気共鳴(NMR)法により相互作用を確認し、白血病ヒト化マウスなどを用いたin vivoでの抗腫瘍活性の検討を計画している。Nrf2を標的とした阻害薬については、一般的手法としてすでに確立されている抗がん薬感受性テストを応用し、細胞の抗がん薬感受性への候補薬物の効果を検討する計画である。これらの2つの研究をモデルケースとして、企業と連携して転写因子を標的とした創薬への道を開くことを目指している。

 

「翻訳後修飾に関与する蛋白質のX線解析と構造生物学」 佐藤 衛

1.研究の背景と目的

ヒストンの翻訳後修飾や神経再生に関与する蛋白質およびそれらのターゲット蛋白質との複合体のX線結晶構造解析を通じて、翻訳後修飾の異常による疾患の治療薬や神経再生を促進する化合物を創成することを目的とする。具体的には、

1) 翻訳後修飾の異常によって発病する関節リウマチの原因蛋白質PAD4の活性阻害剤およびPAD4と相互作用する抗PAD4抗体を創成し、関節リウマチの新規治療薬の開発を目指す。

2) 脳脊髄の神経再生を阻む作用を抑制する新規分子(LOTUS)とNogo受容体との複合体のX線結晶構造解析を行い、両者の相互作用を阻む化合物(神経再生を促進させる化合物)の創成を目指す。

3) Sema3A(脊髄後根神経節の突起伸長を制御する神経ガイド分子)細胞内情報伝達を媒介する分子として同定されたCRMP1(Collapsin response mediator protein)とアクチン結合蛋白質Filamin-Aとの複合体のX線結晶構造解析を行い、両者の相互作用を阻害する化合物(神経再生を促進させる化合物)の創成を目指す。さらに、CRMP2とサイクリン依存性キナーゼ5 (Cdk5)との複合体のX線結晶構造解析を行い、アルツハイマー病患者に認められる過剰なCRMP2のリン酸化を阻害する化合物の創成を目指す。

2.主な研究成果

1) これまでに合成された第一世代のPAD4阻害剤とPAD4との複合体のX線結晶構造解析結果に基づいて、これまでよりも10倍阻害効果の高い第二世代のPAD4阻害剤の設計・合成に成功し、その強い阻害機構を構造科学的に明らかにした。さらに、PAD4の活性部位近傍の天然変性領域をエピトープにした4種類の抗PAD4抗体を作製し、これを混合して関節リウマチモデルマウス(D1CCマウス)の腹腔内に投与し、関節炎発症の抑制効果を定量的に解析した。その結果、作製した抗PAD4マウスモノクローナル抗体は、新規関節リウマチモデルマウスに対して有意に治療効果を示すことが示された。さらに、この4種類の抗PAD4抗体それぞれを大量に作製して、それぞれの抗PAD4抗体の特性を解析した。その結果、4種類のうち2種類の抗PAD4抗体が、PAD4に対する酵素阻害活性と相互作用(ELISA)およびマウスPAD4に対する特異性において優れた性質を有することが明らかとなった。

2) LOTUS、Nogo受容体ともに、相互作用の中心を担う細胞外ドメインに関して、各種発現コンストラクトを作製し、動物由来の培養細胞を用いて発現をさせた。その結果、LOTUSに関しては、一過性発現において複数のコンストラクトで高発現が見られたので、大量発現に向けて安定発現株の構築を開始した。一方、Nogo受容体に関しては、LOTUSに比べ発現量が十分でないため、今後コンストラクトのデザインも含め、発現手法の再検討する。

3) X線結晶構造解析に向けたCRMP1とFilamin-Aの試料調製を行った。それぞれの蛋白質をGST融合蛋白質として、大腸菌BL21(DE3)で大量発現させ、細胞抽出液をアフィニティークロマトグラフィー、陰イオン交換カラムクロマトグラフィー、ゲル濾過クロマトグラフィーを用いて精製した。その結果、Filamin-A(21-274)のコンストラクトにおいて、発現および可溶化が良好であり、結晶化に十分な試料を得ることに成功した。一方、CRMP1はFilamin-Aに比べて発現量が少ないが、CRMP1(1-490)では発現量の増加がみられた。最終精製標品で分解が認められたので、新たなコンストラクトを構築した。その結果、CRMP1(8-525, S522D)では分解が認められず、結晶化に十分な試料を得ることに成功した。さらに、CRMP1(8-525, S522D)とFilamin-A(21-274)をモル比1:1で混合し、CRMP1とFilamin-Aとの複合体の結晶化を試みた。その結果、いくつかの条件で微結晶が得られ、そのうちの1つの条件で結晶化条件を精密化した結果、0.1 mm程度の大きさの結晶を得ることに成功した。他の蛋白質に関しては、高橋琢哉教授の研究グループによって社会的隔離によるAMPA受容体のシナプス移行障害をrescueするcompound Aのターゲットがprotein Xであることが明らかにされたので、protein Xの発現・精製を開始した。

3.今後の研究方針

1) 4種類のうち2種類の抗PAD4抗体が、PAD4に対する酵素阻害活性と相互作用(ELISA)およびマウスPAD4に対する特異性において優れた性質を有していることが明らかとなったので、この抗体を病理組織学的にヒトの関節リウマチに酷似した病態を呈するD1CCマウス(MHC Class IIの発現を制御する転写活性化因子CIITAを関節特異的に発現させたマウス)の腹腔内投与し、関節リウマチ発症抑制効果を観察する。

2) 脳脊髄の神経再生を阻む作用を抑制するLOTUSおよびNogo受容体の大量発現系の構築では、LOTUSに関しては、一過性発現において複数のコンストラクトで高発現が見られので、大量発現に必要な安定発現株の構築を目指す。Nogo受容体に関しては、LOTUSに比べ発現量が十分でないため、コンストラクトのデザインと発現手法の再検討を進める。

3) 高度に精製したCRMP1(8-525, S522D)とFilamin-A(21-274)をモル比1:1で混合したところ、いくつかの条件で微結晶が得られた。結晶化条件を精密化した結果、0.1 mm程度の大きさの結晶を得ることに成功した。今後は、得られた結晶がCRMP1とFilamin-Aとの複合体の結晶であることを確認して複合体のX線結晶構造解析を目指す。Protein Xに関しては、protein Xを高度に精製してprotein X-compound A(富山化学工業が本拠点と協働で開発中の新規化合物)複合体のX線結晶構造解析を行い、protein Xとcompound Aとの詳細な相互作用解析を目指す。

 

「ポリユビキチン鎖の修飾:構造・運動・機能」 木寺 詔紀

1.研究の背景と目的

計算機を用いた方法、データベース解析(バイオインフォマティクス)と分子動力学シミュレーション、によって翻訳後修飾の研究に貢献する道筋をつけることを目的として4つの課題について研究を行ってきた。

1) 薬剤の結合に伴う蛋白質立体構造変化のデータベース解析

in silicoドッキングにおける大きな障害は、薬剤の結合に伴う蛋白質の立体構造変化である。その問題を既存の情報を整理することで、その全体像を示し、予測法へと展開することを目的として研究を行った。

2) ヒト蛋白質のリン酸化のデータベース解析

ヒト蛋白質のリン酸化をシグナル伝達システムとしてとらえ、上流のキナーゼ、下流の相互作用について、情報を収集したデータベースを構築し、それぞれのリン酸化の機能情報を示すことを目的とする。

3) ヘテロクロマチン蛋白質1(HP1)のリン酸化によるヒストン認識制御のシミュレーション解析

翻訳後修飾、特にリン酸化サイトは、多くの場合天然変性状態にある。そのために、リン酸化の意味を原子レベルで明らかにすることは困難である。そこで、HP1を例にしてシミュレーション解析を行う。

4) ユビキチンの構造と基質選択性のシミュレーション解析

ユビキチン化は、蛋白質による最も重要な翻訳後修飾である。しかし、ユビキチン化のリンケージ(どのリジン残基が結合に使われるか)と基質選択性との相関に関わる情報が欠けている。そこで、シミュレーション解析によって研究を行う。

2.主な研究成果

1) 薬剤の結合に伴う蛋白質立体構造変化のデータベース解析(Amemiyaら2011;2012)

蛋白質立体構造データベース(Protein Data Bank)にある、同一蛋白質で、低分子化合物の結合の有無で複数のエントリをもつものを収集し(839非相同蛋白質)、その立体構造変化を分類した。
まず、低分子化合物の結合と立体構造変化の因果関係を調べた。因果関係がないと推定された例については、10例を取り出し、シミュレーション解析によって分類を試みた(Teradaら2012)。8例は結晶場の影響であり、2例はプロリンの異性化、βシートの架け替えという特殊例であった。結合が誘起する立体構造変化は、ドメイン運動と局所運動に分類され、さらに多数を占める閉運動(開いている結合サイトが結合に伴って閉じる)と比較的少数の開運動(閉じている結合サイトが結合に伴って開く)に分類される。閉運動はこれまでに開発した線形応答理論(Ikeguchiら Phys Rev Lett 94:078102, 2005)によって容易に予測が可能である。しかし、開運動の予測は困難である。さらに、100を越える例で、蛋白質の内部に埋没した結合サイトがあり、結合前後で構造変化を起こさないものが見いだされた。これらは、非結合状態で埋没した水分子などによってあらかじめ低分子化合物の結合を模倣した結合ができ上がっていることに特徴がある。
本研究でデータベースに見られる立体構造変化は、少数の可能性に限定されていることが示された。また、結合サイトの情報を前提とすれば、多くの場合は予測可能であると考えられた。

2) ヒト蛋白質のリン酸化のデータベース解析(NishiらStructure,1807:1815,2011)

PhosphoSitePlus、Phospho.ELMを統合し、配列情報のUniProtへの書式の統一などを行い、69,430リン酸化サイト(11,047蛋白質)に関する情報を得た。さらに、それぞれのリン酸化に対応するキナーゼは、5,754サイト (342キナーゼ)が同定された。上流・下流パスウェイへの対応付けは、KEGG、Reactome、NCI PIDを統合することで行った。分子間相互作用の同定はPDBにおけるリン酸化蛋白質(1,825件)を用いて解析を行った。
69,430リン酸化サイトの中には、スループットが高い情報(質量分析のみによる検出)が86%含まれ、より信頼性の高いスループットが低い情報(リン酸化抗体、変異導入などによる検証)はわずか14%にとどまった。今後、スループットが高い情報についての検出の重複度等に基づいた信頼度の情報を付け加えていく。キナーゼ情報が付加されているものは5,754サイトにとどまり、ほぼすべてはスループットが低い情報によるものであり、さらにin vivo実験によるものは、さらに約半数の2,738サイトであった。これらの結果を、The Human Kinomeに基づいて、335種類のキナーゼを7種類に分類し、表示した。
これらの情報をまとめたヒト蛋白質のリン酸化データベースは、実験の参照データになるよう来年度末までに公開する。今後、立体構造情報を参照することによって、今までにないリン酸化の役割の理解、予測につなげる研究を行うことにしている。

3) ヘテロクロマチン蛋白質1(HP1)のリン酸化によるヒストン認識制御のシミュレーション解析

HP1は、そのクロモドメインがH3K9me3に結合して、ヘテロクロマチン形成に重要な役割を果たす。そこでのHP1によるH3K9me3の認識は、N末端天然変性領域にある4残基のセリン(11-14)のうち複数残基のリン酸化によって増強されることが示されている。
天然変性領域のリン酸化による構造機能的影響を明らかにするために、N末端20アミノ酸領域を切り出して、その立体構造の全探索をレプリカ交換MD法で行い、セリン残基のリン酸化の効果を検討した。その結果、非リン酸化ペプチドは、ランダムな構造ではなく、N末端にある4残基の塩基性残基とC末端にある5残基の酸性残基が近接し、電荷を打ち消すような特異的構造をもっていることが明らかになった。それに対して、リン酸化ペプチドでは、非リン酸化状態に見られた構造は大きく壊れ、全体として拡がった構造となり、ペプチド両末端は大きく揺らいでいた。今後、天然変性領域のリン酸化による立体構造の違いが、どのようにH3K9Me3との結合を強くするのかを調べるために、クロモドメイン全長を含んだ系におけるN末端20残基の構造の全探索をMSES法(Moritsuguら2010)によって試みることにしている。

4) ユビキチンの構造と基質選択性のシミュレーション解析(Nishiら2014)

ジユビキチンのリンケージの違いによって基質蛋白質の認識特異性がどのように変化するかを明らかにするために、NF-κB免疫・炎症シグナル経路で現れるTAK1 結合蛋白質2(TAB2)NZF ドメインのジユビキチンによる認識を取り上げた。
TAB2 NZF ドメインとジユビキチン複合体(K63結合型)をM1、K6、K11、K48にそれぞれ変更して、K63結合型の結晶構造が安定であるかどうかをMDシミュレーションで検証した。
その結果、構造の安定性は、K63>K6>K48=K11=M1であることがわかった。それぞれの不安定化要因は、M1:リンカーの伸びきった構造のため;K11:K11の側鎖の向きがdistalユビキチンと反対側に出ていたため;K48:NZF ドメインとの立体障害のため;K6:リンカーに余裕があり二つのユビキチン鎖を制約する力が弱かったため、であると結論された。これらの結果から、ポリユビキチンのリンケージ構造とその認識蛋白質の特異性は、直接相互作用する分子のレベルで起こっており、システムレベルは特異性について2次的な役割であることが明らかとなった。
K63においても複合体の安定性は十分ではないことがわかった。その不安定性は、他の結晶構造と相同なTAB3 NZF ドメインの複合体構造においても確認した。その意味は、物理化学的には合理的であるが、生物学的意味はまだ明らかではない。

3.今後の研究方針

1) 薬剤の結合に伴う蛋白質立体構造変化のデータベース解析

薬剤の結合過程と拡散過程を同時に効率よくシミュレーションする方法を開発し、構造変化を許容し得るドッキング法とする。

2) ヒト蛋白質のリン酸化のデータベース解析

単にデータベースの公開に止まらず、そこからリン酸化の役割の理解、予測につなげる研究に展開する。

3) ヘテロクロマチン蛋白質1(HP1)のリン酸化によるヒストン認識制御のシミュレーション解析

リン酸化の影響は、N末端が結合阻害をするという仮説とN末端が結合を安定化するという二通りの仮説が存在する。それらを見分けることを目的とした研究を行う。天然変性領域のリン酸化による機能制御の一般論を展開できるばかりでなく、安定構造の一部としての天然変性領域の全探索という困難な問題のシミュレーション方法を確立することとなる。

4) ユビキチンの構造と基質選択性のシミュレーション解析

最終的には、テトラユビキチンのリンケージによる構造分布の違いを明らかにする大規模計算を行っていく。

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