「精神神経疾患」領域
「精神疾患における翻訳後修飾」 高橋 琢哉
1.研究の背景と目的
現存する精神神経疾患の治療薬には論理的根拠がないものがほとんどすべてといっていい。従って、治療薬の効果は患者によってまちまちであり、完治しないものがきわめて多い。この現状を変えていくためには、病態の本質を分子細胞レベルで解明し、その動物モデルを最終的な創薬スクリーニングのモデルとして新規治療薬の開発を行うことが必要である。本研究は様々な精神神経疾患のモデル動物を作製し、それを元に新規治療薬のスクリーニングを行っていくことを目的としている。
2.主な研究成果
1) 視覚剥奪動物の体性感覚野における機能向上の分子細胞メカニズムの解明
ある感覚機能が失われると、残存する感覚機能が向上し、失われた機能を補うということが起きる。これをcross modal plasticityと呼ぶが、その分子細胞メカニズムは不明であった。これまでの研究で、視覚剥奪ラット(生後21日―23日)のバレル皮質(ひげからの入力を受ける大脳皮質領域)において、1)GluA1のシナプス移行が促進していること、2)セロトニンの分泌が増加していること、 3)セロトニンによってGluA1シナプス移行促進が仲介されていること、4)セロトニン受容体の下流シグナル分子であるERKが活性化していること、5)GluA1のSer845のリン酸化が上昇していること、 6)ひげーバレルの機能的マップが向上していることを明らかにした(Jitsukiら2011)。本研究は「脳機能損傷後の回復過程において、残存領域の可塑的変化によりリハビリテーションの効果が発現する」という発想につながるものである。
2) 社会的隔離によるAMPA受容体シナプス移行阻害の発見
幼児虐待の一つであるネグレクト(養育放棄)は本邦でも大きな社会問題になっている。ネグレクトによって子供は親や他の子供との接触が断たれてしまい、社会的に隔離された環境にさらされる。このような環境を経験した子供はその後、境界性人格障害に代表される重篤な精神疾患に罹患することが知られている。これらの疾患は現状の薬剤では治療が困難であり、患者の苦しみ、社会的負担は甚大である。しかし、その分子細胞メカニズムは不明であった。本研究で養育期社会的隔離を経験した動物のバレル皮質において1)経験依存的AMPA受容体シナプス移行が抑制されていること、2)その現象がglucocorticoidシグナル依存的に起きていること、3)CaMKIIの不活性化を介していること、4)ひげーバレルの機能的マップが乱れていること、5)ひげ依存的行動に異常があることが見いだされた(Miyazakiら2012b, Miyazaki 2013)。この動物モデルを用いて境界性人格障害等の新規薬剤のスクリーニングが可能である。
3) 恐怖記憶形成の分子細胞メカニズムの解明
心的外傷後ストレス障害(Post traumatic stress disorder:PTSD)は、東日本大震災に際しても大きな問題となった。しかし、その分子メカニズムは不明の点が多い。本研究では、1)海馬依存的な恐怖学習(inhibitory avoidance task: IA task)において、海馬のCA3-CA1シナプスにAMPA受容体が移行すること、2)AMPA受容体のシナプス移行を阻害すると恐怖記憶が成立しないこと、3)IA taskにおけるAMPA受容体シナプス移行はアセチルコリンシグナル(ムスカリニック受容体)の活性化により仲介されていること、4)IA taskにより抑制性シナプスも増強されるが、これがアセチルコリン受容体であるニコチニック受容体により仲介されていること、5)IA taskによる興奮性シナプス増強と抑制性シナプス増強には正の相関があることが見いだされた(Mitsushimaら2011; 2013)。本動物モデルを用いての新薬スクリーニングも可能である。
3.今後の研究方針
今後はこれらの動物モデルを用いて精神神経疾患の新規治療薬の開発を進めていく。
「修飾異常蛋白質の同定、バイオマーカーの開発」五嶋 良郎
1.研究の背景と目的
脳の発生と分化に続く神経回路形成の過程において、様々な機能分子の翻訳後修飾は重要な役割を担っている。CRMP (collapsin response mediator protein)は、発生期において、最も主要なリン酸化修飾蛋白質である。本研究は、修飾異常蛋白質候補、CRMPが精神神経疾患の新たなバイオマーカーとなる可能性を、より国内外のヒト検体を用いて探ること、遺伝子改変マウスを用い、CRMPの修飾異常と疾患との関連を検討することともに、精神神経疾患のみならず、CRMPのバイオマーカーないし創薬ターゲットの可能性を悪性腫瘍にまで広げ、検討することを目的とする。
2.主な研究成果
これまでの成果は、大別して、1)crmp遺伝子欠損マウスの表現型解析とリン酸化修飾の役割、2)CRMPが媒介する神経ガイダンス分子セマフォリン3A (Sema3A)に関するシグナル伝達機構の解析、3)CRMPおよびセマフォリンに関するヒト検体における解析について、4)1~3)以外の拠点内を中心とする共同研究、の4つに集約される。以下に各々について概要を記載する。
1) crmp遺伝子欠損マウスの表現型解析とリン酸化修飾の役割
1)-1 CRMPファミリー分子CRMP1~5のすべてのcrmp遺伝子欠損マウスを作製・維持・管理し、それらの表現型を解析してきた。CRMPファミリー分子CRMP1-5のうち、すでに、CRMP3を除くすべてのcrmp遺伝子欠損マウスを作製し、その表現型を解析した。その結果、CRMP1, CRMP4, CRMP5には、海馬、大脳皮質、小脳などにおける神経細胞の樹状突起やスパインの形態形成異常とシナプス伝達の障害が存在することが明らかとなったCRMPファミリー分子間に各々の発現分布や機能的相違が認められた(Yamashitaら2012a)。crmp1遺伝子欠損マウスの行動における網羅的な表現型解析を行い、同マウスが行動の過活動、プレパルスインヒビションの減弱、メタンフェタミンに対する前頭前皮質におけるドパミン遊離応答の増大、自発運動亢進作用の増強など、行動学的、薬理学的、生理学的な観点から、陽性症状を示す統合失調症の一つのモデルとなることを示した(Yamashitaら2013)。
1)-2 アルツハイマー型認知症の患者剖検脳において、神経原線変化を来す部位に高度なリン酸化修飾を受けたCRMP2が集積する。本病態発症との関係性を検討するため、急性マウスモデルにおいて、Aβ脳室内投与が、リン酸化CRMP2レベルの上昇を惹起するか否かを検討した。Aβ脳室内投与は、投与されたマウスの認知機能の低下や海馬切片における長期増強 (long term potentiation, LTP) の抑制効果を示すとともに、CRMP2S522におけるリン酸化修飾を惹起することを新たに発見した(Isonoら2013)。これらのAβ効果が、CRMP2のリン酸化修飾を介するものであるか否かを検討するため、新たにCRMP2S522A (非リン酸化CRMP2)ノックインマウスを作製し、同効果の有無を検討した。野生型マウスで認められたAβ脳室内投与の認知機能低下、LTP抑制効果は、CRMP2S522A ノックインマウスにおいては完全に消失することを見いだした。この結果は、アルツハイマー病における最も重要とされる原因分子Aβの脳機能に及ぼす作用が、CRMP2のS522におけるリン酸化修飾を介するものであることを証明する画期的な成果である(Isonoら2013)。
1)-3 Aβ→CRMP2リン酸化→Aβ毒性発現という経路が存在することを踏まえ、Sema3Aシグナルがこの経路に関わるか否かを今回、カイオムバイオサイエンス社と共同で開発したSema3Aの特異的抗体を用いて検討した。上記のAβ効果は、抗Sema3A抗体の前処置により抑制された。この結果は、AβによるCRMP2リン酸化修飾にSema3Aが関わることを示すとともに、抗Sema3A抗体がAβの毒性、アルツハイマー病治療薬となる可能性を示唆する。
2) CRMPが関わる神経ガイダンス分子セマフォリン3A (Sema3A)に関するシグナル伝達機構の解析
2)-1 CRMP-Filamin1の相互作用について、従来得られた知見をもとに、Sema3A-CRMP-Filamin伝達系で作動するシグナルについてのモデルを提示した。CRMP1はFilamin-1のN末端のアクチン結合部位とC末端のIg24の双方に結合すること、CRMP1のArg245~Asn247の領域でFilamin-1と相互作用すること等が明らかとなった。さらにCRMP1がCdk5によりSer522においてリン酸化修飾を受けるとFilamin-1への相互作用が強くなることが、野生型に比し、ホスフォミミック型CRMP1(Ser522Asp)のFilamin-1への親和性がより高いことから推測された。原子間顕微鏡による観察により、CRMP1-Filamin-1相互作用が、両複合体の構造を大きく変化させることが明らかとなった。
2)-2 Sema3Aを中心とするセマフォリンファミリー分子のシグナル伝達機構として、カルシウムチャネル(Yamaneら2012;Togashiら2008;Nishiyamaら2011)、チロシンキナーゼ(Uchidaら2009)、チロシンホスファターゼ(Fuchikawaら2009)、チオレドキシン(Morinakaら2011)、ホスファチジルイノシトール-4-リン酸-5-キナーゼ(Yamazakiら2013)が関わることを示した。
3) CRMPおよびセマフォリンに関するヒト検体における解析について
3)-1 CRMPならびに、それらのリン酸化型蛋白質の検出系を確立した。本研究計画は、本学倫理委員会において審査を受け、承認された。これを踏まえ、同検出系を用いて、同蛋白質とそのリン酸化修飾レベルを検出した。現在、それらのデータと個々の患者の臨床データの照合、解析を行いつつある。
3)-2 乳がん組織において、CRMP2の発現レベルの低下ならびに核内におけるリン酸化CRMP2レベルの増加と予後との相関性が認められた(Shimadaら印刷中)。また、セマフォリン4DやCRMP4の細胞・組織における発現レベルが、膵がんの転移・浸潤に影響することが判明した(Hiroshimaら2013;Katoら2011a)。
4) 1~3)以外の拠点内を中心とする共同研究
髄芽種の増殖に関与するといわれる神経特異的な転写抑制因子NRSFは、ヒストン脱アセチル化酵素をリクルートするコリプレッサーSin3と結合する。西村研究室と共同で、Sin3の結合活性を指標にスクリーニングして得られた化合物が、髄芽腫の増殖抑制効果を示すことを見いだした。
3.今後の研究方針
CRMP2がアルツハイマー病などの精神神経疾患の標的およびバイオマーカーとしての可能性をさらに臨床検体の解析により追究する。出口は、アルツハイマー病に対するCRMP2リン酸化阻害薬、抗Sema3A抗体の開発と統合失調症におけるバイオマーカーとしての評価と臨床応用である。