活動報告

   学術活動    2019.6.25
 

報告ー対馬離島医療研修ー

横井先生から対馬での離島医療研修の報告です。
 


 「どんな医師になりたいか」
 
 医師を志した高校生の頃から自問自答していました。
高校生では「病を治す医師ではなく、患者を癒せる医師」
大学生では「内科も外科もできる何でも屋」
研修医では「救急外科医」目標が徐々に具体的になり、医師7年目には念願叶って救急外科医として横浜市大センター病院の高度救命救急センターで勤務しました。
毎日多忙で責任の重さに目が回っておりましたが、それ以上のやり甲斐を感じることが出来たのです。

 しかしある時、原点を振り返ると、「何でも屋」になっているのか?「患者を癒せる医師」ってどういうことなのか?そんな考えが頭から離れませんでした。そして様々な縁とタイミングが重なり、長崎県の離島ある対馬へ行くことを決心したのです。当時幼い子供が2人、妻は3人目を妊娠中でしたので、容易な選択ではありませんでしたが、この時の判断は間違っていませんでした。

 
 対馬は九州と韓国の間に浮かぶ南北に約90kmに及ぶ大きな離島で古来から国境の島として貿易や外交、戦争などで日本の要となって歴史が背景にあります。人口は約3万人、それに対して韓国人旅行客が年間40万人を超えるといわれれています。高齢化は進む一方的で、対馬の現在の高齢化率は日本全国の2050年頃の予測値と同レベルです。病院は2つ、島の北部に60床の上対馬病院と、私の勤める対馬病院は島の中央部(空港近く)にあり275床を有します。

 
 私にとって離島医療研修は宝の山です。当たり前ですが、都会の救命センターでは得られない、経験が出来るからです。救急医としてではなく内科医として患者を受け持ち、入院ではcommon diseaseの治療から担癌患者の緩和ケア、看取りを主に行い、外来では約300人の患者さんを定期的にfollowし高血圧症、脂質異常症、血糖コントロールなどのプライマリケアをします。また私は検査では上部消化管内視鏡、気管支鏡、嚥下内視鏡を担当しており、救急医時代には経験できない手技を得ることができました。当直は全科当直であり基本的には外来・病棟全てに対応します。もちろん応需率は100%です。一方で島内対応が困難な重症患者では救命処置し全身状態を整えつつ速やかにヘリ搬送の手配しなければなりません。主治医制ですので、救急医のようなon・offの切り替えはあまり出来ません。むしろ島内で出かけたり買い物をするとほぼ確実に病院関係者か患者さんなどに遭遇しますが、島ののどかな環境と患者さんとの身近な医師患者関係がストレスを感じさせません。
 

 離島医療の最大の特徴は「ハードル」の低さでしょう。新しい分野の勉強を始めるのも、他科のコンサルトも、多職種間、患者やその家族、あらゆるハードルが低いので、自分の思考がすぐに行動につながるのです。「ケイセントラ®︎の院内採用」「フィブリノゲン製剤の院内採用」「超急性期脳梗塞に対するDrip snd Ship法マニュアルや院内講習ビデオ作成」「マムシ咬傷マニュアル作成」「市民啓発活動」などに取り組みました。特に「市民啓発活動」は市役所や地元ローカルテレビ局などと連携しており、病院内だけでなく対馬全域に有益な医療情報を発信できるシステムが根付きました。PDCAサイクルを自ら率先して回す困難と喜びを教えてくれたのは他でもない離島医療だったのです。
 
 私がこの2年間の離島研修で得る経験はこれから先の医師人生においても基盤となり、困難に直面した時のヒントになってくれるだろうと確信しています。

 集中治療やERだけでなく、総合診療に興味のある若手救急医は是非、離島医療研修をご検討ください。私で良ければいつでも相談に乗ります。師の地域偏在化が進む中、元気ハツラツとした若手救急医がへき地離島医療に関わることは大きな需要があることは間違いありませんし、きっと新しい発見があるのはずだから。