―医師を目指されたきっかけを教えてください。
もともと野球を小さいころからやっていて、ケガも多くよく整形外科の先生にはお世話になっていました。中学2年生の時に右足首に大けがをしてしまい、状況によっては大好きな野球どころか、歩くのも結構支障が出るかもという当時の自分としては人生のがけっぷちの状況でした。しかし、手術を終え、きついリハビリを半年行い、何事もなかったかのように歩け、野球の試合に出場した時、その喜びに感動し、今度はこの感動を病気やけがで苦しむ人に自分が与えてあげたいという思いが芽生え、それまで夢だったプロ野球選手から一瞬で医師になろうと決めました。
―基礎研究を始めるきっかけを教えてください
元々呼吸器外科医として特に肺癌の外科治療に従事していましたが、ご存知のように肺癌というのは早期に発見され、根治的手術をしても再発・転移により悪い転機を取るような予後の悪い悪性腫瘍であり、外科医としての自分の無力感を感じることも多く、何とかしてこの術後の再発・転移を抑制できないものかということを思いはじめ、臨床では解決できない再発・転移の分子レベルでのメカニズムを解明することで抑えられればと思ったのが基礎研究を始めるきっかけです。
ただ、自分は外科医でありましたので、臨床から離れることに非常に不安を感じていました。臨床・手術から離れてしまって自分は外科医として使い物にならなくなってしまうのではないか、「臨床の勘」というものが鈍ってしまうのではないかという不安がどんどん湧き上がってきて、非常に悩んだことを覚えています。
しかし、その際に相談した先輩外科医に基礎研究と臨床との緊密な関係、基礎研究を行うことでのメリット・デメリットを教授いただき、自分の基礎研究に対する視界が広がりました。後押ししてくださったその一言が、自分の臨床外科医としてのstep upにきっとつながるという確信を得たように思います。
━━━基礎研究のやりがい、苦労を教えてください
基礎研究は新たなことをやろうと計画した時、発起・計画・予備実験・本実験・結果の解析・結果に対する考察(肯定・否定)という大まかな流れがありますが、この発起から予備実験までの過程が本当に苦労します。1から始める研究で「系」を作り、それを再現性があるかどうかを検討し、それが本実験の本質につながるかどうかというのが日々出てくる結果に不安をむねに右往左往するのが苦労する点です。逆にその系の再現性が確認され、本実験につながる確証が得られた時、さらにその系によって事前に思った通りの結果が出た際には本当にやりがいを感じます。さらに、思っていなかった結果が出た時も、どうしてこのような結果が出てしまったのかと検討し、別の可能性も出てきて、それが疾患の治療につながると考えるときもワクワクします
自分の臨床で救える命は、臨床だけやっているのであれば自分の医師生活の中で自分の診た患者のみかもしれませんが、基礎研究で新たなことを発見し、それが全世界の医師・研究者に読んでもらい、それをさらに発展させることで全世界の治療に難渋している患者を救うことができるとなれば自分が救える人が10倍になるかもしれないと思うと非常にやりがいを感じます。
ただ、基礎研究を進めていくにはそのために経費が掛かります。それを獲得するために申請書類の工夫や新規性を考えることが大変です。自分のアイデアに共感してくれる研究室や企業にその研究の意義を伝えること、そして研究資金を獲得することが苦労するところでもあり、面白いところでもあります。
━━━海外留学はいかがでしたか。
海外留学は自分にとっての夢でした。医学部1年生の時に出会い自分に海外留学の面白さや発見を教えてくれた先生・USMLEを学生時代から勉強していた先輩達に日々刺激を受け、そのころから将来は海外にと漠然と夢を持っていました。医学生の時も、医師になった後も、「海外ではどういうことをやっているんだろう?」「何か別のことをしているんだろうか?」と考えることが多々ありました。
研修医1年目の夏、当時の上司が1週間インドネシアの病院に手術をしに行くということで夏休みを利用して一緒に連れて行ってもらいました。言語の問題は多少ありましたが、基本的な考え方はほとんど一緒。研修医たちと話していても同じような経験をし、同じような悩みを持っている。だけど文化の違いはいろいろあり、そこに面白さがさらに湧き、海外に行ってみたいとさらに思いました。短期ではなく、長期間じっくり腰を据えて。
実際、海外留学に臨床で行くのは大変です。基本的に医学博士を持っていないと難しいと思います。もちろん臨床研究を行うために海外留学をすることは可能ですが、できれば基礎研究をしていた方がよいかと思います(これは自分の主観なので違うかもしれませんが…)。基礎研究もしくは臨床研究を行って、医学博士という認められたものを持ち、こういった研究をしていましたという自分の業績を見せることによって、はじめて自分というものがどのような研究者もしくは医師なのかということを理解してくれるようになります。
さらに大変なことが続きます。資金源の問題。研究に関する資金ではなく、自分たちが生活していくための資金です。基本的には日本で医師として得ていた給料がなくなります。それだけでもかなりの金銭的な損失がありますが、大体留学の場合は助成金や科研費などを取ってきて、そこから一旦所属する施設から支給されるという形です。医学博士を持っていないとvisiting researcherという立場となり、Postdoctoral fellowなどの称号はもらえないことが多いので基本的に無給です。そのため日本でのGrant fundingが必要になってきます。もちろん貯金もしないといけないというのが必須になります。しかし、しっかり頑張って結果を出していくと、1年目の契約更新時にBossと交渉することで資金を得ることもできますし、給料をもらっていればあげてもらえることもあります。これは本当に本人の頑張り次第で認めてくれるという非常にいい制度であるなと思います。
実際の留学となりますが、当時のMentorの先輩医師とともに国際学会(American Thoracic Society; ATS)に参加し、彼の留学先であったアメリカ・ニューヨークにあるWeill Cornell Medical College, Dept. of Genetic MedicineのBossであるProfessor Ronald G. Crystalに何度か自分をアピールするために会いに行きました。それを認めてくださり、同Labに大学院を修了してから留学をすることができました。
留学生活、はじめは本当にきついものでした。日常生活においても、Labでの生活においても、難しい提出物やこまごました書類などをはじめ、言語の違い、考え方の違い、実験における新しい系の確立、文化の違いなどなど戸惑うところばかりで本当に苦労することが多かったような気がします。渡米してあっという間に1年が経った頃くらいでしょうか、Lab内でも自分の実験系が確立し、徐々に結果も出始め、そのころには同僚たちと実験結果に対する議論もできるくらいになってきました。元々2年の留学予定が最終的には3年半となり、その間自分の出した結果で論文をかける素材も十分集まりました。また、ドイツの某製薬会社との共同研究において喫煙に関する健康障害モデルの研究のプロジェクトリーダとして実験系を確立させてもらう仕事もいただきました。
Labに慣れてきた時と時を同じくするようにpublic schoolに通う子供たちを通じて他国の友人と知り合い、いろいろな文化・考え方・言語などを教えてもらうのが新鮮で、毎日毎日がとても充実した生活を送ることができました。地元の子供たちのためのスポーツ(T-ball, Soccer, Basketballなど)のコーチをやったり、イベントのボランティアをやったり、いろいろと経験することができました。
本業に加えて、アメリカ日本人医師会 (Japanese Medical Society of America, JMSA)で、ニューヨークをはじめアメリカ東海岸に留学している日本人、研究者・医師として働いている日本人、科学に関わる仕事をしている日本人との学術交流を持てるような機会を提供する場として研究会(http://jmsa-nyc-forum.org/)を立ち上げるメンバーの一人・副委員長としてボランティア活動を行っていました。また、そのボランティアの一環として子供たちに生命科学の面白さを教えるというForum(http://jmsa-nyc-forum.org/kids/)の委員長もさせていただきました。おかげであまり知り合うことができない日本人の方々と知り合うことができました。日本に帰ってきた今でも連絡を取り合い、いろいろな情報共有をしています。
この3年半の留学生活で得たもの、仕事(基礎研究)における考え方や手技はもちろんすぐ近くにNatureやCellなどのhigh impact factorの雑誌に掲載されているようなすごい研究者ばかりがいて、その研究者たちと週末にお酒を飲みながら研究の話をしてみたり、研究者以外の友人たちと子供たちも含めて本当に楽しい時間を過ごしたり、「出会い」という本当に素晴らしい経験をすることができました。このような楽しい留学生活を送れたのは自分の仕事に一緒についてきてくれた最愛の家族・日本からいつも応援してくれた両親をはじめ皆さんのお陰かと思います。
こんな留学生活興味ありませんか?留学生活に興味のあるかたは是非いつでもご相談くださいね。つらいことも楽しいこともいろんな経験してきていますので。
━━━今後のキャリアについて。
2018年4月からそれまでの呼吸器外科医・研究者という専門を離れ、自分自身の新たな分野である救急医学教室のメンバーとして加入させていただきました。まずは救急医・集中治療医としてしっかり勉強すること。その中で自分の専門分野である呼吸器外科部門で貢献できるようになることを臨床医として第一目標としています。その臨床での仕事に加え、自分が今までやってきた基礎研究分野をこの教室で発展させ、基礎研究の基盤を作るとともに大学院生・医学生の指導を行っていくこと、さらには海外交流や留学に関する仕事をこの教室で広げ、教室員がより海外に目を向け、どんどん留学してもらえるような環境を整備することでこの教室に貢献したいというのが近々の自分自身のキャリアかと考えています。
さらに将来のキャリアについてはまだ不透明なところが多いですが、今まで通り夢・目標を常に持ってそれを成し遂げていきたいと考えています。子供のころから大好きな野球においてもすべて夢と希望をもって、それを叶えてやってきました。それが自分の座右の銘であり、今も心の中には「あれをやりたい」「こうやってみたい」という夢や希望が沢山混在しています。しかし、それを成し遂げるにはまずは基盤を作って、しっかりとコツコツ進んでいき、夢・目標をもって自分自身も周りのみんなも楽しくやっていければと思います。