INTERVIEW
 

地域のニーズに応える救急医療を展開する  病院と地域をつなぐ役割を果たしたい

 
 
 
 
 
 

 国立病院機構 横浜医療センター
古谷 良輔 救命救急センター長

 ―救急医療を目指されたきっかけを教えてください。

 

学生時代にショックだった経験があり救急医療を目指したんです。それは、大学の近くで通り魔事件があり大学生が大けがをしたんです。近くの交番に駆け込んで救急車を呼ばれたのですが、目の前にあった横浜市大附属病院(現在の市民総合医療センター)に搬送されると思っていたが受け入れられず別の病院に搬送されたんです。それが学生ながらショックだったんです。
 
 その事件もあって卒業後に救急医学や集中治療医学をやりたいと思いました。ただその当時、救急医学教室がありませんでした。研修医の時に各科をローテーションし最後にICUを研修した時ですが、その時は今みたいに全身管理をする集中治療医もおらず各科が独自の治療をしていたんです。今みたいなレベルの集中治療はできていなかった。それで全身管理が学べる麻酔科に入りました。

 
 その後、麻酔科医として関連病院に派遣されたのですが、どの病院も救急医療の体制やICUが整備されておらず、派遣先の病院で救急医療体制の立ち上げや ICUの整備を担当することになりました。当時、人もいなかったので日本医科大学などの有名病院に研修にいく余裕はありませんしたね。
 
 医師4年目になった時に市大に救命救急センターができて出向したんですが、出向してきてた各科の先生と一緒に仕事をしたことがその後の救急医人生のベースになりました。
 
 その後藤沢市民病院で他科の仲間とともにERスタイルの救急診療科の立ち上げと救命救急センターの設計に参加し大学病院に戻って附属病院シミュレーションセンターの設計・整備と立ち上げに携わりました。出向した病院で様々な経験を積ませていただいたおかげで、救急・集中治療部門と他科がコラボレートし、教育にはシミュレーションも活用する、今の自分の救急集中治療のスタンスができあがってきたような気がします。
 

―救急医のキャリアで忘れられない経験を教えてください

 ある年の人事異動で、都内の某救命救急センターに1人で出向することになりました
 
  その救命救急センターに行った時にすごい衝撃でした。今まで横浜市大の関連病院で救急医療をしてましたが井の中の蛙でした。ただでさえ非常にレベルが高いスタッフがさらに徹底的に勉強していて、カンファランスでもすごい激論をかわすんです。各々のポテンシャルが凄過ぎてプレッシャーで潰されそうになりました。最初は全くそれについて行けませんでしたが、毎日毎日、医者になってから一番ではないかと思うくらい勉強した結果、あるときから自分の意見を発信できるようになりました。この経験は本当に忘れられません。横浜にもぜひこのような救命救急センターを作りたいと思うようになりました。
 
 そこで数年経った時に救急医学教室ができる話がありました。あと横浜医療センターが建て替えになり救命救急センターが立ち上がる話が同時期にありました。それで戻ってこないかという話があり横浜に戻ってきました。
 

 

 

━━━ドクターカーをはじめったきっかけを教えてください

横浜市の救急医療を考えた時に病院で待っているだけれはなくて出かけていかないといけないなと思っています。どの病院も完全な救急医療を提供するのは難しいです。そう行ったときにマンパワーのある救命救急センターが往診的な感じで行ければいいなと思ってドクターカーを始めました。それで地域の橋渡しができないかって思ってるんです。
 
 以前の救命救急センターで勤務していた時の出来事ですが、今の救急搬送に関わる問題は病院前でなんとかできることが多いと思っています。患者さんや家族がどうしていいかわからず救急車を呼んでしまったり、入院したけど不安で自宅に退院できないといった問題です。前の救命センターにいる時にそのような不安を抱える患者さんの担当になりました。調度病院から私の家の帰り道にその方の家があったので、退院後よく帰りに様子を見に行ってました。そうするとちょっとした不安が解消されたせいか救急車を呼ばないんです。その経験もあって救命救急センターで勤務していても、救急医療のピラミッドの頂点である3次医療から見下ろすんではなく、扉を開けて一次医療に私たちが顔を出せば救急医療の問題って解決することができるんじゃないかなって思うようになりました。
 
 それで救急医療を展開するに当たって3次救急医療だけでなく、地域と繋がった総合診療も大切にしたいと思うようになりました。だからドクターカーを運用してますが、病院のドクターカーというより地域のドクターカーなんです。救命をするために運用しているわけではなく、場合によっては在宅の先生が忙しくて急患に対応できない時には替わりに往診に行って対応したりしています。
 
 そもそも、救急医療は地場産業だから、横浜医療に赴任した時に、この地域に根付かなくてはと思っていました。地域の医師会の会合に出たり、認知症の会合に出席したり、地域の病院が困った時にバックアップしたりして地域から徐々に信頼されてきました。だからドクターカーを始めた時も反発はありませんでした。ドクターカーも地域のニーズから出てきたものですから。
 
 ドクターカーはこの地域にどのようなニーズがあるかということと私たち救急ができること、やりたいことを近づけた結果なんです。
 

 ━━━今後どのようなことをしていきたいですか。

ドクターカーを24時間運行したいです。それを使って、総合診療、ER、集中治療を融合した救命救急センターを作りたいと思っています。それを担う人材を育成していきたし様々なライフイベントを抱えた医師の受け皿になりたいです。この戸塚でのモデルが横浜全体に普及すると嬉しいです。
 
 院内の各科と手を繋いでよりいい救急医療を提供したいし、地域のよろづごとに応えれるように、地域に根ざした救急医療、総合診療を目指していきたいと思っています。

 ━━━若い救急医にメッセージをお願いします。

 
やってみなはれ”と若者に言ってあげたいし、それができる場所と、機会を提供したいです。
 
 PDCAサイクルってあるけど、まず型にはまった、マニュアル通りのPlanばかりを作ってほしくないですね。「何が必要なのか」というニーズを自分で動いてリサーチしたうえPlanningしてほしいです。そして、一生懸命にPlanningしても実際やってみるとうまくいかないことはあります。そんな時PDCAではなくMistakeのMを入れたPD“M”CAを容認してあげたいです。というのもミスを恐れて丸投げするような人材になっては欲しくないので。医師は決断する仕事です。だから常に“やる”という気持ちを持って欲しいのです。
 
 走りながら考えて、うまくいかないこともあります。けどそこから学んで次につなげていければいいんです。ガチガチのPDCAサイクルだと萎縮して、組織が衰退します。我々世代が責任を背負うから次の世代にトライして欲しいです。今後はそう行った環境を作りたいと思ってます。