臨床腫瘍科学は2007年に出来たばかりの教室です(この原稿は2011年2月21日に書かれています)。教室の前身ともいえる病院での診療科である「臨床腫瘍科・乳腺外科」は2005年4月の発足です。
2005年は日本の大腸癌の抗がん剤治療にとって重要な年でした。効果的な治療薬の一つであるオキサリプラチン(エルプラット)の使用が可能になったのです(手元の資料によれば米国承認日2002/8/9、国内承認日2005/3/18となっているhttp://ganjoho.ncc.go.jp/professional/med_info/drug/oxaliplatin.html)。日本臨床腫瘍学会が認定する、がん薬物療法専門医も2006年が第一期生です。
FOLFOXは今でこそ、大腸癌の併用化学療法として当たり前の名称となりましたが、2005年当時、鎖骨下静脈にカテーテルを入れポートの留置を行い48時間の連続点滴治療を、しかも外来で行うという方法は画期的でした。日本全国の病院はこの治療法を安全に行うため、外来に抗がん剤治療専門の部署-外来化学療法室-を作り始めました。
何しろ横浜市立大学附属病院では(他のどこも一緒だったと思いますが)外来化学療法室発足前までは、FOLFOXの準備は外科外来で外来看護師が行っており、一人分の準備だけでも随分と時間がとられたため、1日2人あるいは3人限定の治療として開始されていました。3人を越えるときは医師が抗がん剤のmixingをする(実際にはあまりの下手さにかわいそうに思った看護師が「仕方がないからやってあげる」ということのほうが多かったのですが)という過酷な状況でした。当時、市川は横浜市立大学第2外科(現、消化器・腫瘍外科学教室)で大腸癌のグループに属しておりました。FOLFOXが標準治療となり、他院から紹介された患者さんもこの方法で化学療法を行うとなると、とてもではありませんが外科外来でFOLFOXを続けることは不可能でした。その頃の窮状を示す嘆願書があります。(資料0)
そこで当院でも外来化学療法室を作ろうという動きが始まったのでした。後述する平成17年横浜市立大学中期計画の中にも外来化学療法室の設置がうたわれ、その後2005年に外来化学療法室整備プロジェクト委員会が発足し(資料1:)2006年3月20日オープンの運びとなりました(資料2:記者発表資料)。当初は場所もままならず、2床程度の外来化学療法室ならぬ外来化学療法椅子の案まで出たほどでしたが、内科各科の好意から、内科外来のスペースを整理しなおして、現行の13床(リクライニングシート8床、ベッド5床)の外来化学療法室が決まりました。準備委員会当時は2005年で国立がんセンター中央病院が30床(リクライニング10)、神奈川県立がんセンター13床(同7)、静岡がんセンター24床(同13)、北里大学病院12床(同0)聖マリアンナ西部病院15床(同8)となっていますから、神奈川県内の標準的な規模で始めることができたのです。
初代の外来化学療法室長は、私市川が仰せつかりました(資料3:この辞令をみると2007年4月からの辞令となっていますから2006年3月オープン当初から2007年3月一杯まではセンター長は居なかったことになります)。
2005年は横浜市立大学にとっても大きな変革の年でした。法人化の年です。外来診療科の名称もこれまでの第一内科、第二内科、第三内科という呼び名から、臓器別の診療科名への移行が始まった年でした。その中で呼吸器内科、循環器内科、心臓血管外科・小児循環器外科と一緒に「臨床腫瘍科・乳腺外科」が立ち上がりました(資料4:Wish)
また2005年の公立大学法人横浜市立大学中期計画中には「高度・先進医療の推進に関する目標を実現するための取組」の一つとして、
【がん治療の充実・推進】[附属病院]臨床腫瘍科の創設や、外来化学療法室の設置等、がん治療を総合的に行う診療体制の確立を図る。
と記され(資料5:平成17年中期計画)、その実現として2007年4月に臨床腫瘍科学講座が創設されました。
当時抗がん剤の過量投与事故が、がん治療を専門とする病院でも起きておりました。このため抗がん剤の使用の安全性を高める試みが各病院で始められており、前述の外来化学療法室に加えて、抗がん剤の投与量、投与方法の基準をまとめ、主として薬剤部が監査を行うシステムの開始が院内的に合意され、がん化学療法審査・評価委員会も2005年11月17日から発足(資料6:化学療法委員会議事録、資料7:化学療法委員会席順)、外来化学療法室のオープンに向けて、化学療法のレジメン、プロトコールの審査を行うとともに、登録が済んだものに関しては、患者一人一人のレジメンをオーダーリング端末上で入力し可能な状態にしていったのです。薬剤部が、医師が各患者のために端末上で作成したレジメンを印刷し、毎回のオーダーリングとの比較を行った上で、疑問点に関してはレジメンを作成した医師に照会を行い、抗がん剤を準備するという、現在のシステムの原型が出来上がりました。各レジメンは実施計画書(資料8)としてカルテに綴じられ、同じものが薬剤部の手元にありこれをオーダーリングされたコンピューターの指示票と比較したわけです。患者さんは医師の診察を受け当日の化学療法がそのまま行われることになった場合には確認シート(資料9)にその旨が記載され、患者自身がこのシートを抗がん剤の指示票とともに外来化学療法室に持参し、その確認票の記載を見て同室の薬剤師が専用のmixing roomでmixingを開始したわけです。
当初この化学療法のレジメンの登録のための評価委員会は1カ月に2回のペースで進められ、横浜市立大学では経口5FUに至るまで、抗がん剤の使用は薬剤部の厳しい管理のもと行われるようになりました。
さて2005年に臨床腫瘍科・乳腺外科が診療科として発足、2006年3月には外来科学療法室が開いたわけですが、臨床腫瘍科の人材不足は明らかで、乳がんを籾山信義先生が担当し、何と上部消化管グループの秋山浩利先生が部長補佐を担当してくれていたのですが、外科医だけで抗がん剤の治療を行うのは大変な困難を伴いました。そんなときに当院消化器内科出身で、国立がんセンター中央病院消化器内科で消化器癌の化学療法を専門に6年間の修練を積んだ後藤歩先生が横浜市立大学臨床腫瘍科・乳腺外科への入局を決めてくれたのでした(2006年4月1日付)。当時の担当医表(資料10)を見ますと、後藤先生は外科医との混成チーム(混成とはいえ真の内科医は彼一人でした)に自ら飛び込んできてくれたのでした。仕事の中には手術患者の「包交」まであり、内科医として修業をしてきた後藤先生の苦労が偲ばれます。その後2008年1月から2010年3月まで廣川智先生(現・杏林大学医学部内科学腫瘍科助教)が在籍され、2010年4月からは島村健先生が私たちと一緒に腫瘍科を盛り立ててくれています。
消化器内科学教室の先生方は現在も夜間の当直診療を一緒に見てくれており、教室を挙げて臨床腫瘍科・乳腺外科を助けて下さいます。
乳腺外科では2006年3月には籾山信義先生が開業退局され、そのあとを引き継いで2006年4月から現・千島隆司先生がトップとして診療を切り盛りしてくれています。横浜市立大学附属市民総合医療センターの乳腺甲状腺外科(石川孝部長)には様々な指導・援助をいただいております。
そして2010年から遠藤格教授率いる消化器・腫瘍外科の先生方も、ローテーションの医師を派遣してくれるなど、これまで同様の援助を快くしてくださり、私たち臨床腫瘍科・乳腺外科の診療を手助けしてくださいます。
いまだ出来たばかりの新しい教室ですが、少しずつ大きなものとなり患者さんのためのがん診療を目指していきたいと思います。
(文責:市川靖史、第一部完)