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ヨーロッパ麻酔科学会 シニアレジデント参加体験記

ヨーロッパ麻酔科学会(European Society of Anesthesiology; ESA)参加体験記

2019年6月7日

シニアレジデント3年目

 

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「まさか、自分がこうも早く海外学会で発表できるとは思っていなかった。」

 

 

ESAを振り返ると、正直このように思う。海外学会とは、もっと上の、例えば専門医を取るぐらいの学年の先生が行くようなものである気がしていた。

しかし、自分が行ってみると、それまで思っていたイメージの多くが思い込みだったと気づいた。そして今回思い込みの壁を超えることで、沢山の収穫があった。以下にそう考えたいきさつを記す。

 

まず最初に、今回の臨床研究について、準備から発表までの進め方を順を追って振り返ろうと思う。

きっかけは大学病院麻酔科部長の宮下先生が「臨床研究をやってみないか」と声をかけてくださったことだった。内容は、「ペースメーカーのモード選択に関するアルゴリズムを作成し、それを基準とした時に過去の手術でどれほど適合していたかを後ろ向きに見る」というものだった。

まずはペースメーカーのモード設定についての論文を自ら調べ、それを元に宮下先生とアルゴリズムについて議論を繰り返した。一通りアルゴリズムを作成した後、過去5年間でのペースメーカーが挿入された非心臓手術をピックアップし、すべての症例での手術内容、術前のペースメーカー情報、心電図のチェック、麻酔記録上でのペースメーカーのモード変更等について調査した。

最初はペースメーカー情報の見方もよくわからなかったが、心電図と照らし合わせていくと、原疾患とそれに対するモード設定についての理解が深まり、アルゴリズムの適切な方向が見えてきた。過去の症例の中には明らかに不適切と思われるモード変更を行った症例もあり、アルゴリズムが存在する役割があるかもしれない、と考えるには十分だった。

 

そんなある日、宮下先生に言われたのは「ESAに出してみるか?」という提案だった。「出すだけ出してみたいです」とすぐに私は言った。宮下先生から更なるご指導を受けたあと、ついに2018年12月、ESAに抄録を提出した。

そして待つこと1ヶ月、ESAから演題が通った知らせを聞いた時には、私は非常に高揚した。

しかし嬉しさの反面、英語でのプレゼンは初めてで、不安も強かった。最初に述べたように、海外学会での発表というのはハードルが高いように感じていたからだ。

 

しかしそれからの毎日は不安を感じる暇もなく、学会側から参加登録やポスター投稿の期日の指示を受け、それをこなしていくような日々だった。宮下先生に引き続き多くのご指導をいただきながら、さらに論文を読み進め、アルゴリズムを図として作成し、述べたい事をパワーポイントにポスター化していった。更に、共同演者の長嶺先生からも学会発表での重要なポイントについて非常に丁寧にご指導をいただき、医学的な内容はもちろん、スライドはどのようにすると見やすいかなども色々と教えて頂いた。

 

3月末にはポスターができあがり、5月中旬、電子ポスターをESAに提出した。

さらに、ESAのポスター作成と並行して英語論文化も進めることができ、ESA参加の前に最初の雑誌投稿ができた。ポスター作成でおおまかな枠組みを組めていたのが鍵となったと思う。

 

 

 

2019年6月1日、13時間のフライトの末にESAの会場であるウィーンへ到着した。

 

ESAの会場に行ってみると、いかにもヨーロッパの人というお洒落な麻酔科医から、中東出身と思われる人、アメリカ人、そして我々を含む東アジア人まで多種多様の人種が参加していることがわかる。共通言語は当然英語だが、ヨーロッパという、英語が第一言語ではない国の方が多い地域での学会であるため、英語の喋り方もかなりバラバラだ。発表でも例外ではなく、イタリアの先生はイタリア語っぽいアクの強い英語を、ロシアの先生はロシア語を連想させる英語を話しており、別にそれで良い、という大らかな雰囲気がある。さらに、英語がうまく出てこない発表者にも優しく座長が質問を誘導するという光景はたびたび見られ、ここでは英語というのは「コミュニケーションを取るためのツール」であるのだということが印象的で、私を少し安心させた。

プログラムを見ると、ESAに今年横浜市立大学麻酔科から出した演題はなんと9題。おそらくこれほどESAに演題を通している日本の大学は他には無いと思われた。横浜市大から出している他の先生方の発表ももちろん拝聴しに行ったが、どの先生もみっちりと準備してあり、素晴らしい発表だった。

 

 

 

私の発表は学会最終日の午後に行われ、当然非常に緊張した。しかし長嶺先生は私の発表前には頑張れと何度も声をかけて下さり、緊張感を適度なものにすることができた。

私の発表の出番となった。昨晩何度もぶつぶつと部屋で練習した通りにしよう、という思いで話し始める。英語がうまく出てこない部分もあるが、なんとか話し終えることができ、座長の先生の英語も聞き取りやすかったため質問にも答えることができた。「Thank you for your very good presentation.」なんて言われるのも海外学会ならではの嬉しさかもしれない。

 

 

 

しかしまあ、こんなことを書いているが正直自分の発表能力の低さも痛いほどわかったのも今回のESAだった。まず、思っていた以上に英語力が足りない。今回はそれなりに「読む練習」をしていったつもりだったが、それでも読むスピードが遅いことにより、相手に与えられる情報量が、十分に話せる人に比べて劣ってしまうことを痛感した。

さらに、プレゼン力。ESAでは、発表者によっては日本の学会でのわりと型の決まったポスタープレゼンとは違う、とても良いプレゼンテーションをする人が時折みかけられた。私も行く前に少しばかり英語のプレゼンの動画等をインターネットで見はしていたが、当然そんな付け焼き刃では歯が立たなく、もっとプレゼンについても勉強してみたいと思った。

以上のように、多くの発見のある学会だった。

 

ウィーンの街についても少し。

私は、個人的には学生時代にバックパックを背負って30弱の国をふらふらとしていた経験があるが、お金が無かったせいもあり、ヨーロッパに足を踏み入れたのは何とギリシャに行って以来10年ぶり、2カ国目であった。

そのため、ウィーンの雰囲気にはあっという間に虜になった。洗練され、かつ歴史を感じる街の雰囲気には、発展途上国で客引き相手に10円単位を闘ってきた私には非常に魅力的で、仕事でその場にいるという自分が、なんだか大人になったような気がした。

ESA最終日には横浜市大麻酔科の参加者で希望を募りウィーン・モーツァルト・オーケストラという楽友協会ホールで開かれたコンサートにも参加し、音楽の街ウィーンらしい楽しみ方もできた。

 

またウィーンでの夜には、共にESAに行った同期や、演題の面倒を見ていただいた上司と盃を交わす機会も設けられた。その会話は非常に内容のあるもので、今後の麻酔科医のあるべき姿や臨床研究に関することなど、ざっくばらんに話すことができた。海外で共に数日過ごすということで、日本で話す以上に、腰を据えて深い話ができた様な気がする。そのお陰で、私にとってこの宴は、非常に楽しく、ESAでの良き思い出の一つとなっている。

 

 

 

最後に、今回のESAへの参加にあたり、各参加者の所属病院の麻酔科スタッフの先生方には、お忙しい中5日間もの勤務調整をはじめとした多大なご協力をいただきました。参加者を代表して御礼申し上げます。

更に、学会活動を推奨し、参加を積極的に認める医局の雰囲気もとてもありがたいものでした。おそらく、日本の多くの医局では、一度に十数人もの麻酔科医が不在になると病院が回らなくなるため、なかなか許されないのではないでしょうか。その様な、横浜市立大学麻酔科ならではのマンパワーという強みも、今回強く感じることができました。

 

この文章を最後まで読んで下さった、入局を考えている研修医や後輩の皆さんは、ぜひ横浜市大でESAを目指しましょう!