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ミャンマー 医療支援 体験記

ミャンマーでの医療支援

横浜市立大学医学部附属病院 麻酔科所属

静岡医療センター 麻酔科 小幡 向平

 

 

「ミャンマーで海外医療派遣の公募をします」

私が所属する、横浜市立大学医学部附属病院麻酔科医局から送られてきたこのメールがきっかけで今回の活動が始まった。

参加したのは“Smile Asiaというシンガポールの本拠地をおく団体。形成外科・麻酔科・小児科・看護師など各国からボランティアで途上国の口唇口蓋裂の治療を行っている。

今回は20172月から1週間、ミャンマーのシャン州で海外医療派遣に参加したので報告する。

 

ミャンマーの国についてであるが、人口5330万人、9割が仏教徒でビルマ語を公用語とする国家である。GDP629億ドル(2015年、世界第73位、IMF)であるが、GDP成長率7.03%(2015年、世界第9位、IMF)と急速に成長している途上国の一つである。

 

今回のミッションはタウンジーというシャン州の州都での活動で、現地の産科小児科専門病院(womens and childrens hospital Taunggyi)の設備を借り、術前診察から手術、術後のフォローを行うものであった。

 

初日はスクリーニング。100名近くの患者さんを対象に身体診察や術式の確認を行った。年齢は6ヶ月から30歳代まで幅広い。日本では口唇口蓋裂に関して幼児期に外科的介入が行われることが一般的であるが、現地では成年以降まで手術を受けていない、受けられない患者さんがいるという現実がある。私がまず感じた日本との医療格差はそこであった。術前診察は現地のボランティアに手伝ってもらい、英語を交え身振り手振りで診察を行った。

 

翌日から4日間かけて80名近くの口唇口蓋裂の手術を行った。手術ベッドは手術室2部屋に対して4ベッドあり、麻酔科チームは6名で各ベッド担当とリーダーに分けて配置についた。私はそのなかのひとつのベッドを担当し、毎日5例程度の麻酔を担当した。

 

 

麻酔薬や医療器具の多くはSmile Asiaからの持ち込みであり、セボフルランが使用できたことは恵まれていた。小児が対象のためほぼ全例がセボフルランによる緩徐導入を行い、静脈路確保後にフェンタニルとプロポフォールで麻酔深度を深くし、筋弛緩薬を使うことなく挿管した。その理由は筋弛緩薬が高額で在庫が少ないためであった。人工呼吸器も存在せず、挿管後には自発呼吸で主にセボフルランで維持を行う。

術後鎮痛として、口唇裂では眼窩下神経ブロック。口蓋裂ではケタミン、アセトアミノフェン、NSAIDsを適宜使用した。術後は小児集中治療医や看護師が待機するリカバリールームに搬送し、すぐに次の症例に移っていく。

 

アクシデントも何度か経験したのでいくつか紹介する。

第一に酸素供給、回路リークについてである。中央配管があっても供給が不安定で酸素が流れないこともある。症例前の始業点検で気づいたためボンベに変更したり、接続部を締め直してもらったりして対応した。回路リークもしばしばあり、ジャクソンリース回路、自発呼吸下で麻酔を行った。酸素流量を増やしたり、リーク部位をテープで塞いだり、なんとか工夫して麻酔を行う状況であった。

次に停電、モニター不良である。病院でさえも頻繁に電気が落ちることがある。心電図、血圧計、体温、パルスオキシメーター、呼気ガスモニターと我々が普段使用しているものが比較的揃ってはいたのだが、突然停電して全てのモニターが消失することがしばしばあった。また現地で借りたモニターのためか、もともと血圧測定ができない(メンテナンス不良か?)、体温が測定できない、パルスオキシメーターが認識できないなど、実際に使ってみると不自由なことも多かった。人工呼吸器に装着されている麻酔バッグや患者の身体に触れて呼吸や脈を確認するといったモニターに頼らない管理を行わざる得なかった。

3番目は物資不足である。供給された医療器具に限りがあるため節約を心がけた。それでも最終日近くともなると、点滴ルートが少なくなり、ついにはなくなりそうになったり、外科医に至っては手術ガウンが底をつきて手袋だけで手術を行うといった、日本では考えられない状況を目の当たりにした。幸いにもプロポフォール、フェンタニル、セボフルランなど麻酔科が使用する薬剤はなくならなかったが、残された医療資源に気を配りながら麻酔を行うことは日本ではあまり意識しない点である。

医療以外のことを少し。

ミャンマー料理は香辛料が多く、日本人にとって辛口である。肉、魚や野菜などの多彩な食事が病院や協賛会社から提供されていたが、食事が合わず体調不良・下痢になった者もいた。言語については日本からも麻酔科医、形成外科医、手術室看護師が来ていたため、手術室内は日本語でもコミュニケーションできた。しかし、他国の麻酔科医への相談や、現地の案内・観光や歓迎会送別会では英語でのコミュニケーションが求められた。苦戦しながらも何とか簡単な英語で切り抜けることができた。まとめ

1週間の海外医療ボランティアはあっという間に過ぎていった。帰国後に団体から手術した患者さんはみな無事に退院したと連絡を受けた。日本では当然の医療が、途上国では同じようには受けることができない。それを痛感した一週間であった。

今後も海外、特に途上国で医療ができる機会があればぜひ参加していきたい。

 

最後にこのミッションを紹介していただいた横浜市立大学麻酔科医局や埼玉県立小児医療センターの蔵谷先生に感謝します。

 


 

①今回のチームメンバー シンガポール、フィリピン、中国など各国から多数参加していた。

②手術室の様子 一部屋に手術台2台を搬入し、手術を行った。窓明かりも貴重な光源だ。

③手術中の様子

 

参考文献

1)Smile Asiahttp://www.smileasia.org

2)子どもに笑顔、http://kodomoniegao.jp

3)WHOhttp://www.who.int/countries/mmr/en/

4)IMFhttp://www.imf.org/en/news/articles/2015/09/14/01/49/pr15428