医局紹介

偶然作られた運命を変える2つの出会い。
「迷ったら好きなことをすればいい」

横浜市立大学附属病院 院長
横浜市立大学麻酔科学教室 教授
後藤 隆久

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「カツ定食で負けた人生」恩師から学んだプロフェッショナリズム

僕が麻酔科を選んだ理由は、集中治療をやりたかったから。患者さんを救えそうでしょ。蘇生や救急みたいな激しい仕事が、医者として本質を示しているような気がしたんですよ。でもどこから入ったらいいかわからなくて集中治療部の先生に聞いたら、「アイデンティティがなくなるから、何か既存の科の専門医資格を持て」って言われて。そこで、帝京大学市原病院の麻酔科で若くして教授になった森田茂穂っていう先生を紹介されました。アメリカ帰りで非常に新しい考え方だから、そこで勉強したらって。ほぼ同じころ親友から「僕も森田先生のところでペインやろうと決めてるんだよね」っていきなり言われてびっくり。
そこで、彼に頼んで森田先生に会うことにしたんです。

先生にお昼ご飯にカツ定食をおごってもらい、「麻酔科で発信して、いい医者になろう!」って夢のある話を聞いたら、2時間ですっかりほだされました。カツ定食を食べ終わる頃には「入局します」って言っちゃったんです(笑)。だからカツ定食に負けた人生です(笑)。でも将来の明るい話を聞きながら食べた、あのカツ定食の味は忘れられないですね。

僕が麻酔科を選んだ頃は、病院長になるのは内科か外科が当たり前。僕は一人っ子なんですが、「麻酔科医になる」って言ったら「医学部まで出たのに看護師さんがやる仕事をなんでやるの」って母親が泣きくずれましたからね。当時の麻酔科に対する扱いは、そんな感じでした。たしかに、麻酔科って病院の奥にずっといて、何やってるのかよくわからないですもんね(笑)。

ところが、実際に行ってみてハマりました。麻酔科面白いなって。麻酔薬を打つことで、呼吸が止まり意識がなくなり、手術をすれば血圧も心臓の打ち方も大きく変化します。麻酔がちゃんとしているときちんと状態もコントロールされて、お腹にあんなに大きな傷を作っているのに患者が痛がらずに帰って、翌日「先生のおかげで痛くなかった」って感謝してくれるんです。でも輸液の仕方とかを一つ間違えると、患者の状態は荒れるんですよ。「これはすごい仕事だ」と思いましたね。手術が平穏に進んだ場合は麻酔も比較的平穏だけど、やっぱり人間って生ものだから、どんなに計画してもうまくいかないことがあります。そうすると、外科医が焦り、オペ室中が緊迫するわけです。そういうときに執刀以外の部分を一切合切コントロールして、患者さんのために最高の手術となるよう作っていくのが麻酔科医。かっこいいでしょ(笑)。

そういったマネージメントの仕方を若いうちから森田先生とスタッフの先生たちから学びました。森田先生の率いていた麻酔科は院内でも信頼されていたし、尊敬されていました。本当に患者が危険なときに救ってくれるから。僕はそのグループの一番端っこの研修医だったけど、プロフェッショナルのプライドある麻酔科の一員だと思うと、とても気持ちよかったです。だからこそ、もっと勉強しないといけない、ここの科の名前を辱めてはいけないと思えました。そういう「プロフェッショナリズム」を教えてもらったのはよかったですね。森田茂穂先生は、僕にとって一番強い影響を受けた先生です。

医療政策の学びから得た、人生のターニングポイント

もう一人、僕の人生を変えた先生がいます。その人は医師ではなく、慶応義塾大学ビジネススクールの教授をされていた、田中滋先生という方です。

あれは20年近く前、僕が横浜市大に来る前ですが、その当時は全国で医療崩壊が起こっていて、大学病院で次々と人が辞めていました。僕がいた病院も人が辞めて苦しい状態で、毎日不安を感じていました。そんなある日、28時間連続勤務の当直明けで、まさにぼろ雑巾のように朦朧としながら家に帰る途中、目の前から30代くらいの光り輝く若い人たちが楽しそうに歩いてきたんです。「あの楽しそうな人達はどこから出てきたんだろう」と思ったら、慶応義塾大学のビジネススクール。日本の将来を切り開こうとしているキラキラした人たちを見て、心底「あっち側に行きたい」と思ったんですよね。それで田中先生の医療政策の週末セミナーに行くことにしたんです。

その授業が雷に打たれたようにショッキングでした。田中先生は介護保険を作った人で、いわゆる厚労省のど真ん中にいた人。そんなすごい人が一人称で、地域包括ケアとか、介護保険をどういうコンセプトで作ったかなど、手術室にしかいたことのない僕の知らない世界を語るんです。田中先生の授業を受けて、「医療政策を勉強すれば医療の行方が分かる。今の出口のない気分からは救われるだろう」と思いました。

するとたまたま、横浜市大の教授選考が始まったんですよ。知り合いに事情を聴いてみると、「横浜を中心に200人も麻酔科医がいる医局で、民主的に新しいことに次から次へと挑戦して発展性のある面白い医局だ」と言うじゃないですか。そこで僕は「横浜市大の医局を発展させ、しっかりとした麻酔科医の集団を作って横浜や神奈川の土地に貢献すれば、ここから『麻酔科診療=手術』に関わる診療のモデルケースを作れ、全国に発信できる!」と思い、横浜市大に応募しました。ここは僕の大きなターニングポイントになりましたね。

しかも、横浜市大は僕の性にすごく合いました。明るくて、オープンなんです。あまりに自分にぴったりだったので、ここにすべてを捧げようと思いましたね。この大学に来られて、医局の人達と出会えたことに本当に感謝しています。僕の人生は要所要所でラッキーな出会いがありますね。これは本当に感謝です。

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使ったことのない脳細胞を使って100歳まで勉強し続けたい

趣味はね、今全然ないんですよ(笑)。プライベートとしてはつまらない人生なんです。僕は家族といるのがすごく好きで、特に子どもと一緒にいることがすごく好きなんです。子育てを一生懸命やった方だと思うんですが……子どもはそう思っていないみたいです(笑)。「お母さんばかり苦労かけて」って言われています(笑)。

麻酔科医の仕事だけで人生を塗りつぶすのはどうかなと思ってるんですが、ここ5年くらい病院経営に携わっていて、日々が勉強なんですよね。麻酔科で20年間培ってきた能力だけでは到底太刀打ちできない。医療経営、医療政策を中心にして、きちんと自分で勉強しないとこの大きな組織を担っていくことはとてもできないので、時間があるときは勉強に当てています。仕事といえば仕事なんですが、すごく楽しいです。

人生100年時代って言いますが、一度、医学以外の大学院で学んでみたいです。100歳まで勉強していたい。だって自分より年下のエネルギーのある人たちと一緒になって学ぶって、楽しいじゃないですか。彼らも問題意識をもって何かを解決しようとして大学院に来ているわけですから。僕もだいぶ頭硬くなっていますけど(笑)、自分が使ったことのない脳細胞使って、新しい世界のことを勉強したり調べたりしたいです。

若い人にもね、本当はもっと医療政策について伝えたいんです。でも麻酔科の教師だから伝えるチャンスがなくて(笑)。だから麻酔科の臨床実習に来た学生を捕まえて、1日くらい横浜市大病院を題材に政策の話をして、議論してもらっています。愛校心も育つし、急性期病院にまつわる医療政策の勉強にもなりますから。

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勇気を出して殻を破ろう! キャリアは偶然に作られるもの

今、麻酔科医は増えてきました。麻酔科医が病院長になるケースも増えています。麻酔科医の需要は非常にあると思います。手術をするには麻酔科医の存在は絶対必要ですので、病院経営のカギを握ると言えるかもしれません。麻酔科は一部の外科系で見られるようなピラミッド構造では成り立ちません。みんなでクオリティを維持し、手術室の数だけきちんとした麻酔科医が必要です。麻酔科医の本質は、秒のスパンで動ける急変に強い医者。医学をちゃんと学びトレーニングすれば、誰でもできるようになります。

実は、「麻酔科に行く」という自分の決断に自信が持てなくて、医大を卒業する直前にマリッジブルーみたいになったんです。そこで親しくしていた細菌学の教授に相談したら、「君が言っていることは全部計算だよね。何が起こるかわからないんだから、好きだと思うことをやればいいんじゃないの」と言われました。僕はそれでハッとしました。だから今の僕の座右の銘は「迷ったときは自分の好きなことをしろ」。要するに、計算するなということです。自分が納得してチョイスして好きなことを選んでいれば、将来多少不利なことが起こっても「自分が選んだことだから」って納得できますよね。

計算しない、という意味で言うと、5年前くらいに日経新聞で見たある人の談話で、「キャリアは偶然作られる」という言葉にグッときました。横浜市大の麻酔科の人事は9割方希望が叶うんですが、どうしても1割くらい希望が叶わない人が出てきてしまいます。申し訳ないと思いつつ、でも本人が希望するところって、本人の理解力の中だけでしか作られていない世界であって、第三者に行かされない限りは自分が想定していない場所で仕事をする機会ってできないですよね。それが「キャリアは偶然作られる」っていう言葉の意味なんです。人間ですからなかなか自分で殻って破れない。でも他者の力で殻を破ることができたときに、意外と運命の出会いがあったりするんですよね。

後藤 隆久(ごとう・たかひさ)

東京大学卒。1988年(昭和63年)米国マサチューセッツ総合病院麻酔科レジデント、1992年(平成4年)同麻酔科集中治療医学フェロー。最優秀レジデントを獲得。専門は麻酔、集中治療。基礎研究ではキセノン麻酔など。帝京大学医学部麻酔科教授を経て横浜市立大学医学部麻酔科教授。横浜市立大学附属市民総合医療センター病院長、2020年(令和2年)から横浜市大附属病院長。

写真:鈴木智哉 取材・文:関由佳

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