海外・国内留学
Massachusetts General Hospital (MGH), Harvard Medical School, Department of Anesthesia, Critical Care and Pain Medicine
柏木静
はじめに
私は2013年5月から約3年間、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンにあるMassachusetts General Hospital (MGH), Department of anesthesia, critical care and pain medicine, Dr. Jeevendra Martyn研究室に留学させていただきました。
私がボストンに留学するきっかけとなったのは大学院進学でした。麻酔科専門医取得後、次の目標として学位取得を目指す決心をして大学院進学の希望を後藤隆久教授にお伝えしたところ、後藤先生からDr. Martynを紹介していただきました。大学院入学後1年ほど麻酔科の研究室で基礎実験の手技を学びつつビザ申請などの準備を進め、2年次から派遣特別研究生として大学院に籍を残したまま留学することができました。
研究室と研究生活について
ボストンはアメリカで最も古い街の1つであるとともに、周辺にはHarvard UniversityやMassachusetts Institute of Technology (MIT)など世界トップクラスの教育・研究機関が並ぶ学術都市でもあります。MGHはHarvard Medical Schoolの最大の関連病院であるとともに、世界で初めてエーテルによる全身麻酔が行われた麻酔科学の源流ともいうべき病院です。Dr. Martynの研究室はMGHのすぐ隣にあるShriners Hospitalという小児病院の中にありました。9階建ての立派なビルに病床はわずか30床、まるまる2フロア―が研究室、右も左もわからない留学生に与えられた十分すぎるスペースのラボベンチ…渡米するなりアメリカの広さに衝撃を受けました。
MGH
世界初の公開全身麻酔が行われた建物は「エーテルドーム」として今でも残っている
Shriners Hospital for Children -Boston
私に与えられたラボベンチ
ラボのメンバーはDr. Martynの他に中国人とインド人の研究者、あとは留学生といった顔ぶれで、オリエンタルな空気の漂う総勢5~6人の小さな研究室でした。留学生は中国、オーストリアからの他、私の在籍中には旭川医科大学や兵庫医科大学の麻酔科から留学生が来ていました。
Dr. Martynはスリランカ出身でイギリスやアメリカでの麻酔科医としてのキャリアを経て現在はHarvard Medical SchoolおよびMGHのprofessorです。臨床では重症熱傷患者の麻酔・周術期管理の大家であるとともに、筋弛緩薬の研究で多くの実績があります。近年では筋弛緩薬の研究から派生したアセチルコリン受容体のα7サブユニット(α7AChR)についての研究も手掛けており、私の研究も熱傷マウスモデルにα7AChR agonistを用いて骨格筋のインスリンシグナルや筋委縮関連遺伝子を解析するものでした。Dr. Martynはご高齢にもかかわらず臨床・研究の両面で精力的に仕事をされる一方、非常に温厚な先生で、私の下手な英語を辛抱強く聴いてくださったり、実験が失敗したときも力強く励ましてくださいました。幸い、研究の過程でいくつか面白い結果に遭遇し、ASA、IARS等の学会での発表や論文化に至ることができました。期せずして私の研究テーマはICU acquired weaknessとして近年集中治療領域で注目される分野と関連し、帰国後に集中治療医として新たな一歩を踏み出すきっかけにもなりました。
Dr. Martyn(右から3人目)
海外に住むと日本人というだけで普段接点のない方と仲良くなれます。近所に住む日本人留学生は研究者が多かったのですが、彼/彼女らの専門は医学の他に化学、海洋研究、法学、経営学など多岐にわたり、ホームパーティーのたびに興味深い話を聞くことができました。さらに、ボストンでは日本人研究者交流会という組織が毎月講演会(とビール付きの懇親会)を開催しており、ここでも様々な分野の研究者や留学生と交流も持つことができました。
ホームパーティーでHarvardの国際問題研究所に留学中の自衛隊幹部の方の話を聞く
ボストンでの日常生活
ボストンマラソンテロの2週間後の入国となり当初は厳戒態勢でしたが、幸い周囲の治安は比較的良く、安心して暮らすことができました。ボストン近郊のアーリントンという町のアパートメントを借りて妻と子供2人と暮らしましたが、家の目の前に綺麗な湖、いくつもの公園、果てしなく続くサイクリングロードなど古い町並みと豊かな自然が調和した最高の環境でした。日本での臨床生活と違い、働く時間をある程度自分で決められるので朝の6時から実験を始め、夜6時には帰宅して家族との時間をもつようにしました。週末は専らフルーツ狩り(春~秋)とスキー/スケート(冬)をして過ごしましたが、ボストンはアメリカ四大スポーツのチームが揃っておりスポーツ観戦を楽しむ人も多いです。年に2回ほど休暇をいただき、ニューヨーク、ワシントン、カナダ観光はもちろんのこと、イエローストーン国立公園やディズニークルーズなど、日本からは行くのが難しい旅行を楽しむことができました。
6月から10月まではfruits pickingのシーズン
スキー場まで車で40分
野生のバイソン(イエローストーン国立公園にて)
ディズニークルーズ
さいごに
アメリカでの研究生活は(日本での研究生活と同じく)苦労すること、うまくいかないことも多く、日本人の同僚とはことあるごとに「この苦労も含めて海外留学だから!」と慰め、励ましあう日々でした。しかし、この生活はこれまで臨床医として働き続けた自分をいったん立ち止まらせて様々なことを思索するチャンスを与えてくれましたし、色々な分野の研究者との出会いや言語・文化の異なる地での暮らしは私と家族にとって素晴らしい体験となりました。海外留学は金銭面での負担やコミュニケーションの不安、健康の心配など多くのハードルがありますが、それ以上に非常に刺激的かつチャレンジングなライフイベントです。このようなチャンスを与えてくださった後藤隆久先生と横浜市立大学麻酔科の医局員の皆様には心から感謝いたします。