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折舘 伸彦

教授挨拶

耳鼻咽喉科・頭頸部部外科学は、聴覚、平衡覚、嗅覚、味覚、発音、構音、発声、咀嚼、嚥下など人間にとって重要な機能が集まっている部位を担当する分野です。鼻アレルギー、めまいを中心とした内科的側面と頭頸部外科を中心とした外科的側面を持ち、また年齢的にも新生児から高齢者まで、男女を問わず対象とする幅広い分野でもあります。

私は平成25年1月1日付で医学部 耳鼻咽喉科・頭頸部外科学、医学研究科 頭頸部生体機能・病態医科学の主任教授ならびに附属病院 耳鼻いんこう科 部長に就任しました。
大学医学部、医学研究科そして大学病院の使命は、臨床・教育・研究です。当科は頭頸部腫瘍、難聴、小児難聴、アレルギー・鼻副鼻腔、めまい、エコー・FNA、音声・嚥下、下咽頭・嚥下造影の専門外来を擁し、それぞれの分野で高度な医療を患者のみなさまにご提供する環境を整えています。

横浜市立大学は医学部を持つ県内唯一の公立大学であるため、横浜市そして神奈川県の医療に責任を持つ使命を念頭に置き、地域医療に貢献するという目標を掲げ、患者さんの視点にたった医療を実践しております。同時に大学病院に求められる先端医療の担い手としての自覚を持ち続け、網羅的手法を有機的に組み合わせた臨床研究を展開し、将来の臨床応用を目指して種々のトランスレーショナルリサーチを展開します。
教育面では科学的思考のできる臨床医を育成することを目指し、様々なプログラムを導入し、教室員の大学院進学や国内外への留学を積極的に支援します。こうした一連の取り組みを通して、次世代の耳鼻咽喉科・頭頸部外科学領域の発展を担う人材を育成することが私たちに課せられた責務と考えています。

当科で治療を受けられる多くの患者のみなさまに喜んでいただけること、多くの学生・研修医の諸君が私たちの教室の門戸を叩き、将来の耳鼻咽喉科・頭頸部外科学の発展のため、ともに邁進する同志となってくれることを願っております。

 


沿 革

明治4年に開院した横浜中病院の流れを継ぐ横浜十全病院を母体として昭和19年4月、横浜市立医学専門学校が創設された。同時に耳鼻咽喉科学教室が開設され、十全病院耳鼻咽喉科医長であった広田寛治が初代の耳鼻咽喉科教授に就任する。

およそ3年後の昭和22年6月柏戸貞一が第二代教授を拝命している。昭和24年学制改革により横浜医学専門学校は横浜医科大学に昇格し、さらに同27年文理学部および商学部とともに、横浜市立大学医学部となった。柏戸教授は昭和28年第54回日本耳鼻咽喉科学会総会(福岡)において「内耳開窓術・手術技法において」と題した宿題報告を発表し、第4回日本気管食道科学会(昭和27年)、第7回日本鼻副鼻腔学会(昭43年)、第16回日本音声言語医学会(昭46年)の3学会を主催した。

昭和48年4月澤木修二が第三代教授として就任する。澤木教授は早くから上咽頭癌を研究の主題とし、その成果を昭和54年、第80回日本耳鼻咽喉科学会総会(東京)で「上咽頭癌の基礎と臨床」と題し宿題報告した。上咽頭癌を対象とした腫瘍免疫研究をもとに当教室は2本の医学映画を製作し、第12回(ブダペスト)、第13回(マイアミ)世界耳鼻咽喉科学会および第6回、第7回国際医学映画祭(ブリュッセル)で金賞を受賞した。平成元年には横浜で第1回日本台湾耳鼻咽喉科学会を主催し、その後この学会は隔年で日本と台湾で開催され現在まで継続されている。

平成6年7月に佃 守が第4代教授となり、腫瘍学を中心に、聴覚・平衡、音声・言語、嚥下、アレルギーなどの耳鼻咽喉科学の基礎・臨床面で研究を推進、特に頭頸部悪性腫瘍に対する放射線化学療法を中心とした集学的治療は大きな成果をあげた。第12回バイオセラピー学会(平成11年)、第11回日本頭頸部外科学会総会(平成13年)、第31回日本頭頸部癌学会総会(平成19年)、第31回日本嚥下医学会総会(平成20年)、第61回日本気管食道科学会総会(平成21年)と多くの学会を主催した。この間、医局員・関連病院の大幅な増加がなされ、横浜を中心とした地域医療に貢献できうる体制が確立された。

平成25年1月、現在の折舘伸彦が第5代教授に就任。頭頸部腫瘍手術と頭頸部癌に対する集学的治療を中心に、耳科手術、音声外科を3本柱として臨床・研究を推進している。附属病院(623床)、附属市民総合医療センター(720床)両病院の密な交流を図り、地域の中核病院として高い医療水準を保つことを心がけている。

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