特別企画「創立100周年に向けて、YCUビジョン100の決意を繋ぐ歴代学長対談」

教育・研究・医療の分野をリードする役割を担い
市民の誇りとなる大学であるために、いま目指すこと

横浜と共に歩み続けてきた横浜市立大学は、2028年に迎える創立100周年に向け、2018年から周年事業を始めました。
2018年11月に行われた90周年記念式典において「YCUビジョン100」を宣言し、10 年にわたる周年事業を立ち上げた窪田吉信元学長(第20代・21代学長)。そして、そのバトンを受け継いだ相原道子前学長(第22代学長)。重要な節目となるこの100周年事業を通して、未来への誓いをつなぐお二人に、改めて横浜市立大学への想いやビジョン達成に向けた意気込みを語っていただきました。


ーー 100周年事業を立ち上げた窪田元学長から、10年という周年事業に込めた想いをお聞かせください。

窪田前学長

窪田 まず、本学の歴史からお話ししますと、元をたどれば明治の初頭にまで溯ります。前身である横浜商法学校が明治15年に始まり、その後、1928年に横浜市立横浜商業専門学校(Y専)となり、1944年にはやはり明治初頭にルーツを持つ横浜市立医学専門学校が設立され、この2つの学校が統合して現在に至るという、長い歴史があります。1928年のY専設立からちょうど創立100年となる2028年は、とても大きな節目ですから、単なるセレモニーで終わらせたくない、長いスパンをかけて未来について考えたいと、2018年に周年事業を立ち上げたわけです。
周年事業には3つのキーメッセージがあります。横浜の街と共に発展してきた本学は、常に市民の皆さんと共にあった。これまでも、そしてこれからも支えてくださっている皆さんに「感謝」をするというのがひとつ。また、市民の皆さんをはじめ、教職員、卒業生、在学生、関係者の方々と100年に1度の「喜びを分かち合う」こと。そして、本学の未来、次の100年に向けて「さらなる発展を決意する」というものです。これらのメッセージを周年事業で伝えていくことを大切にしたいと考えています。そのうえで周年事業のコンセプトとして、未来への誓いである「YCUビジョン100」をしっかりと掲げ、具現化するための3つの記念事業プロジェクト、そして「YCU100募金」も開始しました。

相原 私はこの90周年事業の記念式典には、実行委員の1人として病院長という立場で列席させていただいたのですが、これだけ社会が大きく変革し、発展しているのですから、大学もそれに合わせて変わっていかなければいけないと感じていました。今回の周年事業をきっかけとして大学が大きく発展する起爆剤になればいいと思っています。

窪田 式典には卒業生や教職員、市民の方々や横浜市の関係者のみなさんなど、1000人近い方々が参加してくださり、本学への関心の高さと強い繋がりを感じましたね。OBの応援団の方々が壇上に上がってエールを送ってくれたり、学生が作ってくれた動画を流したり…。

相原 はい、そこにいらしてくださった方々が、ただ参列しているのではなく、皆さんが本当に温かい心で応援してくださっているというのを感じられた、良い式典でした。横浜市の関係者はもちろんですが金沢八景周辺の地元の方もたくさんいらしてくださいましたね。

窪田 横浜市立大学は、規模からいえばそれほど大きな大学ではありませんが、教職員の数も多く、学生一人一人に対して教育をしっかりとやってきたという自負があります。学生と教職員の距離が非常に近くてアットホームであるというのも特長でしょうね。

当時を知る卒業生だから語れる
皆が大好きになるヨコハマの街の魅力とは

ーー お二方は共に本学のご出身ですが、この大学を選ばれた理由をお聞かせ願えますか?

窪田 私は富山県の出身なのですが、都会に行きたい(笑)、そこで様々なものを見てみたいという思いがありました。上京といえば大体は上野、東京まで。横浜は少し遠い存在でしたが、実際に来てみるとすごい街だな…と。当時医学部のあった浦舟町のような下町からハイカラな山手まで、多様な人たちが行き来していて、都会のダイナミズムを身をもって体験しました。相原先生の頃はいかがでしたか。

相原学長

相原 私は小学6年生の頃には横浜におりましたので、この街が出身地とも言えます。地元に医学部があったこと、さらに比較的中規模の大学がいいなと思っておりましたので、この大学に進学したという流れですね。とても自宅から近かったのでバスで通いました。
当時、医学部の校舎は小学校の校舎だった建物を使っていまして、薄暗い、風情のある環境で(笑)、とても歴史を感じました。

窪田 あの古い校舎にはびっくりしましたね(笑)。私の在学時代は学生運動が盛んな時期でしたから、大学が封鎖になったり、ヘルメットを被った全共闘が大学に押し寄せてきたり、本当に波瀾万丈でした。ただ、病院は立派でしたよ。

相原 そうですね、私が大学に入った時には建てられたばかりのきれいな病院でした。医学部の校舎は古かったですが、狭い中庭がありまして、お昼休みには学生たちがそこでお昼を食べるんです。ですから学生同士の距離がとっても近かった。60人(当時)の医学部生が肩を寄せ合って勉強している…そんな感じでしたね。

ーー 当時を知る卒業生だからこそわかる、伝えていきたい本学の良いところはどんな部分でしょうか。

窪田 横浜市の人口が100万人に満たなかった当時からすれば、今は370万人…約4倍に近くなり、大きな変化を遂げています。それに加え、昔から国際性が豊かであるのが魅力です。本学はそんなヨコハマの街と共に歩んで来たという実感がありますし、学生たちにも「ヨコハマの街から様々なことを学びなさい」とメッセージを伝えています。
それから診療については、経験できる症例数が本当に多いというのも誇るべきところでしょうね。

相原 医学部のある大学は名古屋市にしても京都市にしても1つではないのですが、ヨコハマはこれだけの大きな都市でありながら、本学だけです。それだけに「横浜市に支えられている唯一の大学である」「この街を自分たちが支えていくんだ」という意識が、医学部に限らず学生の中にはあると思います。

窪田 現在は、神奈川県とそれ以外の出身で学生の割合は半々くらい。わたしたちのときには医学部60人の中で関東の学生は東京などを入れてもせいぜい20人、あとの40人は地方からの学生でした。ところが面白いことに、卒業後に故郷に帰る人が非常に少なく、みんな横浜近辺にいるんです。それだけ皆、この街が大好きですよね。

外から見るだけで、
この大学の存在意義がわかるような大学を目指したい

ーー 学生の学びも地域に入り込んでいますし、病院も市民の身近にあり、まさしく地域に密着した大学であることは、これからもずっと継承していく点だと思いますが、さらにその先を目指していくにはどんなことが大事だと思われますか。

窪田 やはりこれからはグローバル化の時代ですから、世界へ羽ばたくために“国際性”という部分は意識していかないといけない。横浜で多様な教養と文化を学び、様々な人たちと接して、世界を目指していくということ。当然、独自性もちゃんと持つことが必要ですね。

相原 この大学が存在する意義が外から見てわかるような大学にしたいですよね。

窪田 そうですね。

相原 医学部は医療で横浜市に貢献しているという点でわかりやすいのですが、その他の学部も「横浜市大に来てこれを勉強したい」と真っ先に特長があがるようになるといいですよね。もちろん今でも「都市学系」とか「データサイエンス」とか特長は十分あるのですが、さらに、という意味で。

窪田 周年事業では「YCUビジョン100」として、教育・研究・医療の分野をリードする役割を担い、市民の誇りとなる大学を目指すために掲げた目標があります。
まず「教育」の面からは「ヨコハマから世界に羽ばたくグローバル人材の育成」。「研究」の分野では、とにかく研究力を上げていくことですね。「世界をリードする研究成果を上げて市民に還元すること」。そして「医療」では附属病院の機能強化と再整備。常に最先端、最新の医療であり続けないといけない。
日本だけの独自の医療ではなく、常に世界にアンテナを張り、診療レベルもグローバルスタンダードであるべきです。そして、「国際交流と知的資源を還元する拠点を形成する」こと。これら4つの重点事業を進めながら、本学ならではの特長をアピールできればと考えています。

世界大学ランキングでも高順位に。
自信をもってさらにチャレンジしていくことが大事

窪田 私が学長を引き継いだときには学内の意識改革が必要でした。本学の長所も短所もデータ化して客観的に把握し、それを先生方や職員と共有して改革を進めました。「こんなことはできないだろう」「どうせ変わらないだろう」ではダメです。
その結果、予算規模でも全国の国公立の中でトップ10に入るようになり、今ではさらに伸びている。研究力から言っても全大学800校のうち20位以内に入っています。研究力が強いということがニュースに取りあげられれば、いい研究者が来てくれるはずです。また、タイムズ紙のハイヤー・エデュケーション(Times Higher Education:THE)によるTHE世界大学ランキングでも順位があがってきていて、国内大学全体で14位、公立大学では1位です(2019年9月発表)。これからも教職員すべてがそういった意識をもって、さらにチャレンジ精神をもって頑張ってほしいと思います。

相原 現在の立ち位置を認識していないと、どこに向かっていくのかがわからないですよね。窪田先生がこうして道を開いてくださって、我々はどこにいるのかというのがわかれば、このあと何をして先へ進めば良いかかが見えるようになります。これまでは見えてもいなかったけれども、見えるようになったから、先へ進めると思うんです。

ーー では最後に、周年事業を通して、窪田先生から相原先生に託されたいことをお聞かせください。

窪田 本来の大学のミッションは何か、どこに重きを置くかを意識してきました。国際都市横浜と共に歩んで、市民の誇りとなる大学でありつづけなければいけない。そのために教育力、研究力をあげていくための方針をしっかりと定めました。
先ほど申し上げた内容と重なりますが、単なる「人材育成」というのではなく、「ヨコハマから世界へ羽ばたくグローバル人材の育成」。研究面では「世界をリードする研究成果をあげて市民に還元する」。そして「医療の知の創生・発信」。これらを方針としたことで、目標意識もかなり明確になりました。
相原先生にはさらに分析をしていただきながら、弱みを克服し、強みを伸ばし、取捨選択して果敢にチャレンジをしていってほしいと思います。

相原 はい、窪田先生が示してくださったこの方針に十分に対応できるよう、しっかりと検証して、さらに横浜市立大学の特長を伸ばしていかなければいけないですね。気持ちを新たにして、私も本学のプレゼンスを今以上に高められるよう、最善を尽くしてまいります。

握手を交わす二人

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横浜市立大学 第20代・21代学長
窪田 吉信 (くぼた よしのぶ)

昭和24年(1949)年1月生まれ。富山県出身。医学博士。専門は泌尿器科学・分子腫瘍学。1974年横浜市立大学医学部卒業。横浜市立大学医学部附属病院、横浜市立市民病院、南カリフォルニア大学がんセンターなどを経て、2001年横浜市立大学医学部教授。附属病院副病院長、副学長を歴任した後、2014年4月より学長に就任(任期2020年3月まで)。

相原学長_プロフィール画像

横浜市立大学 第22代学長
相原 道子 (あいはら みちこ)

昭和31年(1956)3月生まれ。神奈川県出身。医学博士。専門は皮膚科学。1980年横浜市立大学医学部卒業。西ドイツMax-Planck研究所、米国Stanford University Medical Center、小田原市立病院、横浜市立大学附属病院、横浜市立大学附属市民総合医療センターなどを経て、2008年横浜市立大学附属病院皮膚科教授、2011年横浜市立大学医学部教授。附属病院副病院長、病院長を歴任した後、2020年4月より学長に就任(任期2024年3月まで)。