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横浜市立大学附属市民総合医療センター薬剤部

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薬剤部の歴史(十全醫院時代の資料)


 この資料は、横浜市立大学医学部の同窓会「倶進会」が所蔵しているもので、内容は当時の薬局から患者さまに向けての説明文書です。会計からお薬受取までの流れ、薬の保管方法や服用上の注意などが説明されています。一つひとつ読んでいくと、当時の生活様式、時代を感じることができ、歴史的にも貴重な資料といえます。
 この資料はいつ頃の時代のものなのでしょうか?残念ながら、直接の日付は記載されていません。また、現在の薬剤部にも記録は残っていませんでした。当院の歴史をひも解くと、病院名の変遷だけでも次の表のようになります。
  • 1871(明治04)年04月   横浜元弁天に「仮病院」を設立。近隣の失火により類焼し09月に閉院
  • 1872(明治05)年07月  太田町に代替施設を開き「横浜病院」と称す
  • 1872(明治05)年10月  太田町の横浜病院を野毛老松町の新施設に移し「横浜共立病院」と改称
  • 1874(明治07)年02月  横浜共立病院を県立とし「十全医院」と改称
  • 1891(明治24)年04月  神奈川県から横浜市に移管し「横浜市十全医院」と改称
  • 1944(昭和19)年04月  「横浜市立医学専門学校付属十全医院」と改称
  • 1949(昭和24)年04月  「横浜医科大学病院」と改称
  • 1952(昭和27)年04月  「横浜市立大学病院」と改称
  • 1954(昭和29)年04月  「横浜市立大学医学部病院」と改称
  • 1991(平成03)年07月  「横浜市立大学医学部附属浦舟病院」と改称
  • 2000(平成12)年01月  新病院「横浜市立大学医学部附属市民総合医療センター」オープン
  • 2005(平成17)年04月  「横浜市立大学附属市民総合医療センター」と改称
 「お藥の御注意」に記載されている病院名は「横濱市十全醫院」となっていますから、明治24年04月以降で昭和19年03月までの間ということがわかっています。
 もうひとつヒントになる記載があるとすれば電話番号でしょう。「3-0018」と書いてあるように見えます。当時は、市外・市内局番という概念があったのでしょうか?財団法人横浜観光コンベンション・ビューローのサイトによれば、「日本で初めて電話交換が始まったのは、東京・横浜間で1890(明治23)年12月16日とのこと。開始時の開通者は、東京155名、横浜42名で、横浜の交換手は男性4名だった。」そうです。電話番号から時代を特定するのは難しそうです。しかし、日本初の電話が開通した翌春には「十全醫院」は県から横浜市に移管され、今日まで公的な病院としてその役割を担ってきたことがわかります。

 資料の中身に話を戻しますと、その内容のほとんどは現代でも通用するもので、先達たちの提供していたサービスの質の高さを垣間見ることができます。当時は、散剤・水剤が中心で、薬の取り扱いは現代のように簡便ではありませんでした。調剤の機械化が進むのもずっと後のことです。現在とはまったく異なる環境の中で、医薬品の適正使用のため努力されていた様子が伺えます。今回、この資料に触れたことで、先輩たちの仕事ぶりに想いを巡らせる機会を得ました。明治以来当院が果たしてきた役割や伝統、先輩たちの努力の様子を誇りに、これからも当院の理念実現のため、一層努力していこうと考えております。
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