やりがいと現場経験で医療環境をアップデート!延田さんに聞く医療経営とは?
執筆者:大野七美 坂田遥 髙橋叶和子 豊本結子
生まれ育った石川県七尾市で、臨床現場を経て今では医療資材の管理を行っている社会医療法人財団菫仙会恵寿総合病院の延田宗久さん。2024年1月1日に起きた能登半島地震、資財課に至るまでのバックグラウンドと今、大学生に伝えたいことについて語ってくれた。延田さんの職業観と信念が垣間見えた。
延田さんの経歴について
放射線技師から医療事務の道を選んだ延田宗久さん。そんな延田さんのバックグラウンドから医療事務として働くうえでのモットーに迫った。
――延田さんは放射線技師から医療事務という経歴お持ちですが、放射線技師になった理由、医療事務に移ったきっかけはなんでしょうか。
父親からの洗脳ですね(笑)父親が医療従事者だったので病院で働くことを身近に感じる環境で育った影響もあるかもしれませんが、なによりの決め手は私が保育園生の頃に手に負った大けがの影響で将来力仕事は難しいだろうからと、父親から「お前、放射線技師になれ―」と言われたこの一言です。この言葉から、何も疑問を持たずに放射線技師を目指し始めました。その点では自分の信じる力の強さも大きな要因のひとつではあるかなと思っています。
そこから数十年、放射線技師としてプライドを持って現場で働いていました。ただ、董仙会の信条のひとつ「職の進化-知の創造」が示すように、自身の知識や経験を増やすことができるだけでなく、新しいキャリアの可能性を広げてみたいと思い、現場を離れることを決断しました。
――医療事務として新しく感じたやりがい、あるいは苦労したことはありますか。
自分がこれまで培ってきた放射線技師としての長年の現場経験を医療事務と組み合わせることで新しい視点からの意見を医療事務の場に取り入れることができるようになりました。それによって、それまでなかった考え、意見が生まれるようになって自分自身にも周囲にも刺激を与えられ、とてもやりがいを感じています。所属する資財課の上司や同僚にも私と同じように前は放射線技師や薬剤師、はたまた実際の医療現場を経験したことのない新卒の職員といった様々なバックグランドを持った仲間が多くいます。悩みを相談でき、新しい考え方を与えてくれる存在から刺激を受けることができています。
一方で、以前のように患者さんと直接的なコミュニケーションを取れないことで難しく感じる場面があります。放射線技師として働いていた時は実際に患者さんと接することができていましたが、医療事務として働く今は患者さんと触れ合う機会はめっきり減ってしまい、以前と比べるとどこか現場との距離を感じるようになりました。また、現場から離れたことで持っている知識のアップデートが停滞してしまい、現場との間にギャップがあるように感じることが増えました。
――延田さんが医療事務として働く上で持っている信念はありますか。
「他人事だと捉えない」ことですね。先程述べたように「事務は事務、現場は現場」と自分たちで勝手に境界線を引くのではなく、病院が一つの組織として、患者さん第一で円滑に回るように常に自分の専門分野はもちろん、それ以外の分野の知識も持てるよう、自分を更新し続けることを忘れないようにしています。

震災時の対応について
2024年1月1日に北陸地方を襲った能登半島地震。最大震度7を記録し、日本海沿岸の広い範囲で津波が観測され、火災、土砂災害、家屋の倒壊なども相次ぎ、奥能登地域を中心に甚大な被害をもたらしました。
――道路が寸断され、自衛隊からの支援も十分に受けられなかったと思いますが、医療事務に求められた役割は何だったのでしょうか。
恵寿総合病院には、免震構造の棟と耐震構造の棟があります。耐震構造の棟は排水管が使えなくなるなど被害を受けましたが、免震構造の棟は電気も通っており、病院は意外にも通常運転でした。しかし、まわりに断水・損壊等によりフル稼働できなかった病院が多かったため、応援人員を呼びにくいなど通常運転だったからこその困難がありました。災害が発生したとき、建物や人がダメージを受ければ活動は下がります。しかし、震災時は医療の需要が特に上がるため、体制が整ってから再開、という形がとれず大変でした。
災害時などの非常事態においては、「プラスアルファで最大限できることをやる」という意識が重要です。「自分は資格を持っているから」、「自分の専門外だから」とは言っていられないからです。資財課では、普段の仕事に加え、次々と運び込まれる支援物資の仕分けなどにも対応しました。
学生に伝えたいこと
――現在、延田さんは放射線技師でありながら、医療事務の資財課課長を務めていますが、医療事務という仕事にはどんな魅力があると思いますか。
医療事務の仕事は「縁の下の力持ち」のような魅力があると思います。私が課長を務めている財務部資財課では、法人内で使用する物品、サービス等の購買を担当しています。私は放射線技師として現場で得た経験・知識を基に、より安くて質の良い品を探したり、現場で削減できるものや必要のないことを指摘したり、病院の財政の一部を担っています。
今あるものがすべてではない。医療事務は常に変化し続けている流れをつかみ、こちらから提案することで現場に変化を残す。それがこの仕事の面白みなのだと思っています。
自分の仕事がそのまま病院の財政状況として表れる仕事なため、裏方として病院を支える医療事務の仕事には「縁の下の力持ち」のようなカッコよさがあるんですよ。
――医療資格を持たない文系学生が医療事務に従事することができるのか、と疑問に持つ人も多いと思いますが、医療事務はどんな学生に向いている仕事なのでしょうか。
そもそも、医療事務といっても様々な役職があり、医療の知識が必要になる医事課や医療秘書から人事を担当する総務部、地域との連携を担当する部署など、病院での事務の仕事は多岐にわたります。うちの課の若手職員の良いところはニコニコしてくれているところです。医療事務、特に財務部資財課では現場で働く病院の内部と、物資を提供する病院の外部との間を取り持つ必要があります。そのため、素直に話を聞いて、人と人をつなげることのできるコミュニケーションスキルを持った学生に向いている職業だと思います。
もちろん、医療知識はあるに越したことはないですが、医療の知識は周りにいる専門家に聞いて、経験としてついてくるものです。
学生の感想
私たちは、インタビューを通じて延田さんが医療事務に挑戦するまでの経緯や、その仕事に対する姿勢に感銘を受けました。もともと放射線技師としてのプライドを持ちながらも、「頼めないか」という言葉をきっかけに医療事務を引き受け、新たな環境を楽しむ前向きさがとても印象的でした。また、医療事務が病院全体を支える「縁の下の力持ち」として重要な役割を果たしていることを知り、その責任感や、やりがいに心を動かされました。延田さんが事務にとどまらず、マルチに活躍しながら仕事を楽しむ姿勢は、自分の働き方やキャリアについて考える大きな刺激になりました。今回のインタビューや記事作成といった活動は、医療事務という仕事について、自分たちのキャリアを広げるとても良い機会になりました。
・法人概要,病院概要
社会医療法人財団菫仙会(とうせんかい)
→1934年に神野病院として創立。「いつでも、誰でも、たやすく、安心して、診療を受けられる病院にする。」を目標とし設立。急性期医療・救急医療から回復期医療リハビリテーション、慢性期医療、施設介護、在宅医療、居宅介護など、地域の皆さんから信頼される質の高い医療を目指している。
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延田宗久(のぶたもとひさ)
幼少期から石川県七尾市で育つ。金沢市の短期大学を経て1994年4月に診療放射線技師として入職。30年弱ほど活躍したのち2022年4月に菫仙会本部財務部資財課に異動、翌年に資財課課長に。プライベートでは、4人の父親でもある。

なお、このインタビューは,9月10日にzoomを用いてオンラインで行った。