「日本の景色を変えたい」―田渕さんが語る医療の可能性とその思い 

「日本の景色を変えたい」―田渕さんが語る医療の可能性とその思い 

執筆者:岩崎泉音、大畑颯梧 

株式会社リクルート(東京都千代田区)、日本綜合地所株式会社(現在の大和地所レジデンス株式会社[東京都港区]、そして社会医療法人愛仁会──。 

異なるフィールドを渡り歩きながらキャリアを築いてきた田渕一さんは、何度も「迷い」と「挑戦」に向き合ってきました。 

そんな田渕さんが、どのような思いで医療経営の道を進んできたのか。その背景に迫るとともに、仕事への思いや医療経営に携わるやりがいについてお話を伺いました。 

大学生へのメッセージとして語られたのは、華やかな成功談ではなく、失敗や苦悩から得たリアルな学びでした。 

― 大学2年生の時、将来の進路や仕事についてどのようなことを考えていましたか。 

特に何も考えていなかったですね(笑)。就職したらどうにかなるという考えでした。今の学生は社会に出て何をやるのか、かなり考えていると思います。いろいろな選択肢がある中から選ぶのは難しいですが、大学生のうちはいろいろな選択肢を増やして、決め打ちせずに体験してほしいですね。様々な業界を見るとよいでしょう。 

― リクルート、日本綜合地所ではどのような経験を積みましたか。 

就職したのはバブル崩壊の時期で、倍率も今とは比べものにならないくらい高かったです。最初はマスコミを志望していましたがうまくいかず、本当に厳しかったですね。その中で、リクルートの方からお声がけいただき、お話を聞いて強く魅力を感じ、入社することを決めました。リクルートは活気があり、とにかくワクワク感とスピード感がありました。採用人数が少なくて採用の競争も激しく、上の世代も多く働いていました。また、その中で、若手が主体となって業務を担当する機会が増えていました。だけど若いうちは無理がきくんですよね。「やっておくと後が楽になる」と思って必死で取り組みました。やったことのない広告の営業にも挑戦して、3年目には大きな成果を上げることができました。 

― 順調に成果を上げていますが、最初からうまくいっていたのでしょうか。 

いえ、最初は自分の中でこの仕事に対する働きがいや意味を見出せず、悩みました。先輩からも必要とされなくなって、自分の価値についても考えましたね。でも、そこで親に退職の相談をしたら、とても怒られました。自営業を営んでいた親から「物を理解していないのに売れるわけがない」と言われてハッとしました。そこで、3ヵ月という期間を決めて、これまで以上に真剣に仕事と向き合い、それでも結果が出ないのであれば退職しようと決心しました。それからは、仕事だけに集中しました。3ヵ月だけでは結果が出ませんでしたが、仕事にのめり込むことによりだんだん楽しくなりました。人から必要とされるようになって、「あのとき辞めなくてよかった」と思えるようになりました。この経験から、「迷うのは情報が足りないだけ。人に相談して行動すれば道が開ける」と学びましたし、お客さんの話を聞くことの大切さも体で理解しました。 

 その後、日本綜合地所に転職し、まだ社員200人にも満たない頃から「不動産業界を変えたい」という社長の思いに共感して仕事に取り組みました。私が在職している約10年の間に売り上げは、120億円から2400億円まで拡大。経営企画やITなどにも関わりながら、大企業になっていく過程を体験しました。しかしリーマンショックで倒産。成功も挫折も一気に経験しました。こうしたキャリアを振り返ると、若いうちに全力で挑戦したことが大きな財産になっています。 

― 経営はどのように学ばれましたか? 

学術的に経営を学んだわけではなく、実際に仕事をしながら現場で学んできました。もともと経営に興味があり、実際に経営を行ってみたいと考えていました。日本綜合地所では管理部門に入ることで、実務を通して経営の基礎を身につけていきました。上場準備や金融機関・株主への説明会、事業計画の策定、M&A(企業の合併や買収:筆者注)なども担当し、経営を実践的に学ぶことができました。財務諸表の読み方や経営の考え方を、勉強するだけでなく、得た情報を発信して、その発信した内容に対する市場の反応や株価の動きを見ることで、経営の奥深さを実感しました。これらの経験を重ねる中で、より一層「自ら経営をしたい」という思いが強くなっていきました。 

M&Aを行った関西の会社に管理部門の役員として出向したのですが、そのあとリーマンショックが起こり経営破綻を経験しました。破綻後の1年間は100人の人員調整や再就職の支援、銀行への返済と、整理業務に明け暮れていました。負のオーラをまとったような日々でしたが、それでも最後までやり切るしかなかったのです。かなり追い詰められましたが、家族や友人に支えられて何とか乗り越えることができました。その整理が終わった後、愛仁会に就職することになりました。苦しくも貴重なあの1年間の経験が、今の自分にとって大きな糧となっています。 

多様な経験を経てたどり着いた、医療経営という生きがい 

― なぜ医療法人に転職したのでしょうか。 

東京にある日本綜合地所に戻ることもできましたが、既に結婚もして子どももいたため家族で関西に住むことを優先しました。自分に子どもができたことで、「子どもたちの未来をより良くしたい。自分の手で日本の景色を変えていきたい」という思いが強くなりました。これまでいろいろな経験をさせてもらってきたからこそ、それをどう伝え、どう日本をよくしていくかを考えるようになりました。高齢化社会の先進国として、日本の医療を発展させることは、日本を守ることにつながる。そういう国になれれば、子供たちの未来も明るくなるのではないでしょうか。 

だからこそ、私は愛仁会を通じて日本の医療の重要性を訴えかけ、何かを変えていきたいと思っています。これまで様々な経験を経て、この場所にたどり着きました。そして、この思いはこれからも変わることはありません。まさに、私にとって医療経営は「生きがい」そのものなのです。 

―愛仁会で「尼崎だいもつ病院のプロジェクト」に携わったそうですね。 

このプロジェクトは新しい病院を一から立ち上げる、めったにできない超大型プロジェクトでした。スタッフを集め、患者さんを集める。その責任者を任されたのは、人生で一番価値のある経験だったと思います。 

新しい事業をつくるのは本当に難しいのです。コアとなるサービスがないと、どれだけ工夫しても結局は“砂上の楼閣”になってしまう。つまり、根っこの部分で価値を生み出せないと、お金も信頼もついてこない。その点、医療という分野はすでに提供するサービスの質がしっかり担保されています。人々の生活に欠かせない、絶対に必要とされているサービスだからこそ、新しいことを始めてもすぐに求められる。これはほかの業界にはない大きな強みだと思います。 

医療は唯一無二の存在であり、生活に直結する“なくてはならない”領域。だからこそ、その周辺で新しい事業を立ち上げることには大きな可能性があります。安心して仲間たちと挑戦できる、そんな土壌が医療にはあります。ただし維持していくのは大変で、最初の勢いだけでは乗り切れません。 

私たちは、「地域住民に必要とされる病院になること」を常に意識しました。結局は、置かれた場所で精いっぱいやることが成功につながります。 

― 現在はどのような活動をされていますか? 

「子供たちの将来を少しでも良いものにしたい」という当初の思いを実現すべく、現在は海外事業のサポートや人材育成支援、学会活動などを行っています。大事なのはやはり、「機会をもらったときに一生懸命取り組むこと」「やれるときにやれることを全力でやりきる」ではないでしょうか。迷うことがあれば、まだ活動が足りないからだと考えるようにしています。 

― 医療業界特有の難しさとは。 

医療は専門職の集まりです。だから事務職や経営職は「仲間」と思ってもらえないことが多い。その壁をなくすことができれば、もっと良い業界になるはずです。本当は医療経営も専門職の一つだという認識を医師や看護師などの医療技術者に持ってもらいたいですね。 

医療は法律で守られる一方で、経営をするには制約も多くあります。経営にはこうした医療特有の制度などの専門性が必要なのですが、事務職は軽く見られがちです。さらに、意思決定が実行に移りにくい場面も多くあります。ガバナンスが効かず、改革や改善のスピードも遅いといった傾向があります。DX化も一般企業と比べて大幅に遅れています。さらに患者さん目線に立てていない場合もあります。待ち時間を減らしたい患者さんと、時間をかけてでも高度な医療を提供したい医療側の希望がズレている。高度な医療を追い求めることによって医療費が高騰するという構造的な問題もある。今後生き残る病院は、患者さんの希望に合わせた運営をするところだと思います。 

― 経営と現場の板挟みになることはあるでしょうか。 

もちろんあります。経営を優先しなければ事業は継続できない。でもやりすぎると専門職が離れていく。大切なのはバランスです。病床数の増減のように、簡単に形を変えられない難しさもあります。 

これからは物価高により、「偏差値70の病院経営」が必要になる時代です。普通に経営していたら成り立たない。国の方針によって病院は減らされ、淘汰の時代に入っています。今後10年で本当に患者が満足でき、効率的に運営できる病院だけが生き残るでしょう。 

― 医療経営にしかない魅力は。 

社会に必要とされているサービスなので安定感がありますし、患者さんからダイレクトに反応を感じられるというやりがいがあります。また、研究や学術活動ともつながりが深く、アカデミックな経験ができる点も魅力です。 

― 医療経営を目指す学生は何を学ぶべきですか。 

「何を学ぶべきか」は人それぞれですが、今のうちに全力で取り組むことが大切です。社会に出てからでは学ぶ環境を得にくくなります。後悔しないように、学生時代にいろいろな経験を積んでほしいと思います。 

学生の感想  

わたしたちは、今回のインタビューを通して、田渕さんの歩んでこられたキャリアや考え方から多くの学びを得ることができました。特に印象的だったのは、田渕さんが「日本の未来を良くするために医療業界を選んだ」という強い思いを語られたことです。これまで、不動産など幅広い分野で経験を積まれながらも、最終的に医療を選ばれた背景には、医療を発展させることが子どもたちの未来を守ることに繋がるという信念がありました。世の中に恩返しするために何ができるか問い続け、その答えとして「医療」という分野を選ばれた姿勢に、深い感銘を受けました。私たち自身も医療経営を学んでいる中で、医療を単なる産業としてではなく、社会の未来を築く柱として捉える視点の重要性を再認識しました。また、そういった視点がこの業界で働くやりがいに繋がっていくのだと感じました。 

法人・病院概要

社会医療法人愛仁会 

設立 :1958年 

理念 :貢献・創意・協調 

職員数 :約6500人 

施設 :急性期病院4施設 

回復期病院2施設 

介護施設6施設 

健診センター2施設 

看護専門学校2校 

株式会社ビクトリー 

設立 :1996年4月 

理念 :医療介護施設のサポートを通じて患者・利用者の健康を守る 

職員数 :30人 

主な事業 :診療材料・医薬品等卸売販売 

      病院内物流管理(SPD) 

      不動産・病院建替コンサルタント 

     医療・介護の人材派遣・紹介 

     メディカルツーリズム 

インタビュー対象者プロフィール  

田渕一(たぶち はじめ) 

株式会社ビクトリー 代表取締役社長 

職歴 1997~2000年  株式会社リクルート 勤務 

   2000~2010年  日本綜合地所株式会社 勤務 

   2010年 7月  社会医療法人愛仁会 入職 

                高槻病院 事務部 管理科 科長 

2013年 4月  愛仁会本部 企画部 部長代理 

2014年10月  愛仁会本部 だいもつプロジェクト準備室 室長 

2016年4月  尼崎だいもつ病院 事務部 部長 兼 尼崎エリア統括部長 

2019年4月  高槻病院 事務部 部長 兼 高槻エリア統括部長 (~2023年3月) 

2022年4月  愛仁会本部 資材部門 統括部長 

2023年4月~  株式会社ビクトリー 代表取締役社長 

取材情報 

取材日:2025年9月10日 

取材方法:Zoom