『患者さんのため、地域のために』―学び続ける医療経営という道
執筆者:佐藤瑠菜 大澤奏汰
少子高齢化が加速し、医療・社会保障の課題がますます複雑化する日本。
その現場で、病院経営の第一線に立ち、医療者と経営者の橋渡し役を担うのが済生会熊本病院 経営企画部の松岡佳孝さん。「医療経営はずっと勉強し続けないといけない。だからこそ面白い」と語る松岡さんに、医療経営という仕事のやりがいや面白さ、今後の展望を伺った。
メディア志望から病院経営へ
――医療経営に関わることになったきっかけは何ですか。
大学時代は、最初メディア関連の仕事に就職しようと考えていましたが、ゼミ担当だった実務家教員から「熊本には大手メディアや広告代理店が少ない」という現実を指摘されてしまいました。転機になったのはケーススタディで知った済生会熊本病院の事務職。日本でもトップクラスの病院でもあり、事務職の中に経営マネジメントがあるのを知り、面白さを感じ、就職することを決めました。就職したばかりの頃は、受付に配属され、定型業務を約半年間行いました。想像していた仕事とギャップがあり、「本当は最初から経営に関わりたかった」と思いながら、過ごしたのを今でも覚えています。
――病院経営に関わった上でのやりがいや面白さ、あるいは苦労した点はありますか。
一番良かった点は、医療や社会保障の問題は国家運営の中で大きな問題で、とても難しいですが、そこを理解すると世の中全体の問題が分かるようになったことです。まだまだ分からないことも多く、「ずっと勉強し続けないといけないような面白さ」があると感じています。
一方で、一般的な企業は、目に見えて自分の行動が収入などと直結しますが、病院では、患者さんが病気になるという偶然の出来事を相手にしており、自分の努力が数値として見えにくく、仕事の成果を実感しづらい時期もありました。それでも、この仕事を続けてこられたのは、当院が業界で確かな地位を築き、企業との業務連携や共同開発の機会が多く、社会に貢献できるやりがいを実感できたからです。
――仕事に対して大切にしている姿勢やモットーは何ですか。
『患者さんのため、地域のために』という絶対にぶれない視点を持つことです。ここが揺らぐと医療機関はすぐに誤った方向へ進んでしまう可能性があります。例えば経営だけを優先すれば、入院の必要がない患者さんを受け入れることも理屈の上では可能です。しかし、それは患者さんの利益にはなりませんし、長期的には病院の信頼も地域医療そのものも破綻してしまうでしょう。スタッフや関係者と事業を動かすときは、この姿勢を常に共有しています。

病院経営を支える“参謀”
――医療経営の役割をどう捉えていますか。
医療者の方向性をそろえるのは本当に難しいです。経営としてやるべきこと、医師としてやりたいこと、そして組織としてできることの三つをつなぎ合わせ、「今やるべきこと」を形にするのが経営企画の役割だと思っています。自分たちだけでできることはもちろんやりますが、それ以上に大切なのは「組織全体を動かす体制づくり」です。病院として目指す姿を共有し、データを示し、議題を立てて進捗を追う。やることは多いですが、組織を前へ進めることこそが役割だと感じています。
――今後挑戦していきたいことは何ですか。
当院で取り組んでいることをきちんとモデル化して、全国に広めていきたいです。これを続けていけるような存在でありたいですね。これからも第一線の病院としてのポジションを守っていきたいです。
“選ばれる病院”の作り方
――貴院では急性期医療を維持するため、円滑な退院・転院をサポートして高い転院率を維持しているそうですね。 貴院の高い転院率を支えている秘訣は何ですか。
当院の「高回転」モデルを支えているのが、退院後の連携です。成功の理由は、熊本という地域が持つ特性を最大限に活かした点にあります。熊本にはリハビリテーションを専門とする回復期病院が非常に多く、それらの病院と戦略的な連携(アイランス)を結んでいます。これにより、「急性期治療は済生会熊本病院、リハビリは提携病院へ」というスムーズな流れを地域全体で作り上げたのです。これが、全国平均の倍以上となる高い転院率につながっています。
――地域のクリニックから患者さんを紹介してもらうための連携(前方連携)はいかがでしょうか。なぜ顧客管理システムを導入し、営業的なアプローチを始めたのですか。
人口減少社会において、病院も「選ばれる」努力をしなければ生き残れない時代になったからです。地域のクリニックとの関係づくりは、まさに病院の生命線です。そこで、一般企業では当たり前の顧客管理システムを導入し、営業活動をデータに基づいて行うことにしました。「どのクリニックをいつ訪問し、どのようなコミュニケーションをとり、結果として紹介が何件あったか」などを全て可視化し、勘や経験に頼らない、戦略的なアプローチを可能にしています。
――病院の魅力を伝える「広報戦略」について、これまで発行していた広報誌をやめ、テレビコマーシャルに力を入れるようになったのはなぜですか。
「広報の投資対効果を最大化する」という経営判断です。以前の広報誌は、年間で数百万円のコストを要する一方で、情報が届く範囲には限りがありました。そこで私たちは、「本当に情報を届けたい相手に、最も効果的な方法で届ける」という原点に立ち返ったのです。 当院の主な患者層である60代以上の方々にとって、最も影響力のあるメディアはテレビだと考えました。広報にかけていた契約や予算を見直し、 病院を知ってもらうためのテレビコマーシャルや、医療を分かりやすく解説するミニ番組の制作・放映に再配分しました。 また、若者向けのSNS(交流サイト)は採用活動に特化するなど、ターゲットと目的を明確に分けてメディアを使い分けています。

若手人材に伝えたいこと
――医療経営の仕事に向いているのはどのような人ですか。
医療事務は定型業務が中心で、決まった作業を着実にこなしたい人に向いています。一方、医療マネジメントは答えが一つに定まらない非定型業務です。多職種とコミュニケーションを取りながら、何が正解か分からない問題に粘り強く向き合える「考えるタフさ」を持った人が活躍できると思いますね。
――文系学生にとって医療経営はハードルが高い印象がありますが、実際はどうでしょうか。
全然心配いりません(笑)。医療者の専門知識に追いつくことは不可能ですが、役割分担しているので問題ありません。専門的な医療のことは医療者に教えてもらいつつ、経営的な側面では専門的に学びを深めサポートする。お互いに手を取り合いながら信頼関係を構築することが大切です。もちろん医療制度や仕組みは勉強する必要がありますが、文系だから難しいということはありません。
――最後に、医療経営を志す学生や若手へのメッセージをお願いします。
少子高齢化が進み、医療や社会保障はますます大きな課題になります。医療は身近な分野でもあり避けて通れないテーマだからこそ、勉強すればするほど深みが増し、追い続けられる面白い分野です。厳しさもありますが、その分やりがいも大きいと感じています。ぜひ多くの若い人にこの分野の面白さを知ってほしいですね。
学生の感想
今回のインタビューを通じて、松岡さんが「医療経営は楽しい」と語られる姿がとても印象的でした。医療は私たちにとって身近でありながら、その複雑さゆえに多くの課題と可能性を秘めています。だからこそ、医療経営ではより深い探求が可能になり、課題を一つひとつ解決していく過程に大きなやりがいがあるのだと気づきました。そして、「医療経営は人とのつながりの中で成り立っている」という言葉からは、患者さんや地域、そして職員一人ひとりとの強いつながりが病院を支えていることを実感しました。これまで医療経営は専門性が高く、自分たちには遠い世界だと思っていましたが、実際には人や地域との関わりの中で形づくられていくものであり、私たちにも挑戦できる余地があると感じました。難しい分野だからこそ学び続ける価値があり、挑戦と成長のチャンスとして前向きに向き合いたいと強く思うようになりました。
法人・病院概要
社会福祉法人 恩賜財団 済生会
設立:明治44年5月30日
理念:施薬救療の精神
職員数:約67,000人
明治44年に明治天皇によって設立された日本最大の社会福祉法人。「施薬救療」の精神に基づき、医療・保険・福祉活動を展開し、生活困窮者を支援することを目的としている。
社会福祉法人 恩賜財団 済生会熊本病院
所在地:熊本市南区近見5丁目3番1号
病床数:許可病床数・400床
病院機能:地域医療支援病院、紹介受診重点医療機関、地域がん診療連携拠点病院、がんゲノム医療連携病院、救命救急センター、臨床研修病院、JCI認定病院
済生会熊本病院は、熊本市南区に位置する400床規模の中核病院であり、地域医療支援病院やがん診療連携拠点病院として高度急性期医療を担っている。救命救急からがん医療まで幅広い分野で先進的な取り組みを行い、地域住民の健康を支える役割を果たしている。
対象者:松岡佳孝様
2012年4月 済生会熊本病院へ入職(医療支援部 医事室へ配属) 佳
2016年6月 同院 医療連携部 地域医療連携室へ異動
2020年10月 同室 室長代行
2022年4月 同室 室長
2024年3月 九州大学大学院 医学系学府 医療経営・管理学専攻修了
2024年8月 経営企画部 広報室長・医療支援部 医事企画室長(兼務)
2025年6月 経営企画部 経営企画室長・広報室長(兼務) (現在に至る)
社外活動:
2022年4月 一般社団法人 病院マーケティングサミットJAPAN 医療マーケティングディレクター就任
2024年4月 メダップ株式会社 アドバイザー就任
取材時期:2025年9月18日 (12:00~13:30)
取材方法:Zoomでのインタビュー