教室関連

研究内容 ~モーケン族調査 2004年10月~

2004年12月18日 サイエンスミステリー/フジテレビ放映

今回の調査目的

モーケン族の水中視力を探る

調査風景

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調査のまとめ

今回、ミャンマーでモウケン族の調査をしてきて、モウケン族の優れた水中視力が明らかとなりました。
私たちが物を見るときは、角膜と水晶体で光を屈折させて、網膜上にその像を結ばせます。角膜の屈折力は約40Dで、水晶体の屈折力は約20Dですので、角膜が物を見るための3分の2の屈折を作り出しており、とても大切な役割を担っています。角膜の屈折力は、光が空気中から角膜に入る時に、空気中の屈折率と角膜の屈折率の違いから生じます。しかしながら、水中では、水の屈折率が1.336で角膜の屈折率1.3375とほとんど同じですので、物をみるための重要な角膜の屈折力は全く機能しません。すなわち、物を見るために必要な屈折の約3分の2を占める角膜の屈折力が全く機能していないことになります。この屈折を何らかの形で補いませんと、水中でクリアーに物を見ることはできません。

魚類ではご存知のように水晶体が非常に厚くほぼ球形をしていますので、水晶体の屈折力が異常に大きく、角膜に頼らず、水中でも物を見ることができます。しかし、魚類が地上で物を見ることがあったら、空気中では角膜の屈折が生きてしまい、極度の近視状態となり、逆に地上では全くピントが合わなくなってしまうでしょう。水中と地上の両方で生活している両生類では、地上では角膜と水晶体の両方の屈折力を利用し、水中では水晶体が変形して著しく厚くなり、水晶体屈折力を極度に高めて、角膜の屈折力分を補っています。また、水中の魚を餌にするミズドリなどでは角膜の他に瞬膜というもう一つの生体膜があり、地上では眼瞼内に隠れていますが、水中に入ると角膜の上をゴーグルのように覆うことにより、角膜の屈折率を生かすようになっています。

しかし、われわれ人間は、魚類のように水晶体は球形ではなく、また、両生類のように水晶体を著しく変形させたりすることもできません。もちろん、モウケン族の角膜の上にミズドリのような瞬膜があったら腰を抜かしてしまいます。それでは、モウケン族はどのようにして水中視力を高めているのでしょうか。

まず考えられることは、目の長さ、すなわち眼軸が異常に長く、強度近視であるため、水中では水晶体の屈折力のみで充分像を網膜に結ばせることが可能であるということです。しかしながら、今回、レフラクトメーターと超音波を現地に持って行き検査しましたが、モウケン族の目の長さは正常であり、屈折も強度近視の人は一人もおらず、正視の人がほとんどでした。

次に考えられることは、角膜の屈折力が小さく、水晶体の屈折力が大きいということです。通常では角膜が3分の2の屈折力を作り出し、残りの3分の1が水晶体によるものですが、水晶体がより大きな屈折力に寄与していれば、地上でも水中でも物を見ることが可能です。つまり、水晶体がもともと異常に厚く、水晶体屈折力が異常に大きいということが考えられます。しかしながら、今回、ケラトメーターを持参して測定しましたが、モウケン族の角膜屈折力は正常であり、水晶体の厚さもほぼ正常でした。

すなわち、これらの検査結果から、モウケン族の目の形が解剖学的に私たちと大きく異なっていて、優れた水中視力が獲得されているということではありませんでした。もちろんミズドリのような瞬膜もありませんでした。つまり解剖学的な目の形は私たちとほとんど変わりありませんでした。

次に考えられることは、近くを見る力、すなわち調節力が異常に優れているということです。近くを見るときには毛様体の筋肉が収縮し、それにより水晶体を支えているチン小体という線維が緩むため、水晶体は自分の持っている弾性力で厚くなります。この力は老化とともに衰えてきます。今回、モウケン族で調節力を検査したところ、モウケン族の青年は同世代の私たち日本人と比較して、極めて優れた調節力を保持していることがわかりました。しかも、50歳台でもかなりの調節力を維持している人がいたことは驚きでした。したがって、このずば抜けた調節力がモウケン族の優れた水中視力の大きな要因となっていると考えられます。しかしながら、調節力で10~20Dを補ったとしても、まだ20~30Dは不足しています。

興味深いことに、これらモウケン族の青年は、地上でも視力が3.6~9.0と驚異的によく、地上でも水中でも視力がよいことがわかりました。視力というのは、医学的には2つの点を2つの点として認識できる分解能このことを指します。これは網膜の黄斑部に多く存在する錐体細胞の間隔や密度と関係があります。人間には錐体細胞は約600万個存在していますが、1つ1つの錐体細胞はそれぞれ1つの神経線維を出しますので、1つの錐体細胞とその隣の錐体細胞との間隔が2点を2点として識別できる最小の距離であり、分解能、すなわち視力となります。したがって、錐体細胞が密に存在し、隣同士の錐体細胞間の距離が短いほど小さいものまで見ることができ、分解能すなわち視力はよくなります。私たち文明人はVDT作業など色々な要因により、黄斑部の錐体細胞が減少しており、2,0以上の視力の人はなかなかおりませんが、アフリカのマサイ族や一部の民族では4.0~8.0の視力の人が存在しています。今回調査したモウケン族は、電気のない社会で、現在もなお原始そのままのような生活をしており、網膜で錐体細胞の減少がほとんど起こっていない可能性があります。

これらの調査結果を総合しますと、モウケン族はずば抜けた調節力により水晶体屈折力を上昇させ、また密に存在する錐体細胞の分解力により水中視力を高めていると考えられます。

また、大変興味深いことに、この優れた水中視力は、現在、海上で生活をし、水中眼鏡なしで漁をしている、いわゆる海モウケン族においてのみ認められたのではなく、何世代も前に陸上に上がって陸上生活をしている、いわゆる陸モウケン族においても認められました。すなわち、この優れた水中視力は、海モウケン族が水中眼鏡なしで漁をするという現在の過酷な日々の環境により鍛えられて獲得された、いわゆる訓練によるものではなく、このような漁をしない陸モウケン族においても認められていることから、何千年ものモウケン族の海上生活の歴史の中で自然選択による最適化、すなわち遺伝子変異が起こり、すでにDNAに書き込まれている情報であると思われます。

進化における遺伝子変異の中立説論争は未だ明確には結論されていませんが、遺伝子の変異は中立に生じながら、その上でダーウィンの言う自然選択による最適化が起きていると考えられます。例えば、キリンの首はなぜ長いか、それは中立に起きた遺伝子変異の中で、首が長くなるという変異がキリンにとって自然に適応して最適なものであったからです。モウケン族はどの遺伝子にどのような変異が起きたことにより、この優れた水中視力が得られたのかは全くわかりません。人のゲノムは約31億個の塩基対から構成されており、その中に約3万5千~4万個の遺伝子が存在していると言われています。しかし、その中で、機能や生体での働きが解っていない遺伝子は沢山あります。今回の調査からモウケン族の優れた水中視力には、水晶体屈折力や調節力、また網膜の錐体細胞密度による分解力が関与していることが推察されました。水晶体や網膜に発現している遺伝子は現在知られているだけでも数百~数千あります。しかも、これらだけでなく、まだ機能や発現などがよく解っていない遺伝子が水中視力に関与している可能性もあります。これらの中から水中視力に関与している遺伝子を特定し、モウケン族に特異的な遺伝子変異を見つけることは、労力的にもコスト的にも至難の業です。当面は解っている遺伝子の機能から推察して、候補遺伝子を選んで、その遺伝子変異を検索したいと考えています。モウケン族は水晶体の厚みの変化、すなわち水晶体の柔軟性が私たちと違ってずば抜けて優れている可能性が考えられるため、まず手始めに水晶体を構成している重要なタンパク質であるクリスタリンをコードする遺伝子を候補として、自動シークエンサーでその全塩基配列を決定し、モウケン族に特異的な遺伝子変異を探してみたいと考えています。

また、現在私たちは、ゲノム上に散在するマイクロサテライトという反復配列の個人差を利用して、全染色体をしらみつぶしにスクリーニングすることを行っています。全ゲノム上の遺伝子をしらみつぶしに検索していくことにより、モウケン族の優れた水中視力に関わる特異的な遺伝子変異を特定することが可能かもしれません。水晶体の柔軟性や調節力に関わる遺伝子の変異や視力に大きく影響する網膜錐体細胞の発現に関わる遺伝子の変異が特定されれば、私たちの視機能向上や眼の老化防止に飛躍的な進歩をもたらすかもしれません。

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