教室案内
薬理学教室の歴史
大学やその研究室、教室には固有の歴史があります。
本教室の前身である薬理学教室の創設は1947年、田邊左門(東京帝国大学)の教授発令に始まります。1958年東京大学より伊藤宏が助教授として着任し、助教授1、助手2人の体制が整い、伊藤を中心にして研究面の進展をみました。着任早々、伊藤は薬理学の教科書を執筆しました。本著は日本語の教科書としては初めて体系的に生理学的、生化学的視点とのつながりを記載した優れた教科書となり、たちまち全国の医学部、薬学部において採用されました。
1967年、伊藤が教授に昇進、1968年には東京医科歯科大学より佐藤温重が助教授として赴任し、その後、講師の定員増に伴い、東京大学より藤江恭が着任、新体制が整いました。伊藤は本学の研究・教育環境の改善に尽力し、学生・同僚からの人望を集めました。
1977年、京都大学より三須良實が教授として赴任しました。三須は伊藤の作成した教科書「薬理学」を伊藤未亡人の依頼により引き継ぎ、改訂を行いました。本書は伊藤の教科書の基本構成を継承しつつ新知見を大幅に追加し、さらに斬新な色刷の平明な図を数多くとりいれ、本著もたちまち薬理学教科書のベストセラーになりました。
三須教授の時代に入り、京都大学薬学部より久保孝夫、植田弘師、天野博夫を招聘し、また本学出身の五嶋良郎、木原実、中村慎一、宮前丈明が入室し、 神経伝達物質とその遊離、並びに受容体機構、末梢・中枢性血圧制御機構、受容体のcDNAクローニングなど新しい方法論を取り入れた多角的な研究活動が展開されました。三須はライフワークとしたノルアドレナリンの遊離調節機構を縦糸に、血圧の調節機構を横軸に研究を展開しました。着任後、従来行っていたトリチウム(3H-)などの標識ノルアドレナリンを予め取り込ませた組織からの電気活動依存性の遊離を測定する系から、複数のカテコラミン作動性神経が混在する中枢神経組織からの内在性カテコラミン遊離測定系の確立へと向かいました。この系は、一見誰もが考えつくアイデアでしたが、当時、国内外において同様な試みを行った研究はほとんどなく、アドレナリンのシナプス前受容体を介する遊離調節機構の発見や、以下に述べるドーパの神経伝達物質様の遊離の発見への布石となった実験系を確立したと言えます。
1999年、三須が退官した後、五嶋良郎が教授に昇進しました。五嶋は1983年に本学を卒業後ただちに本教室に在籍し、当時助手だった植田が確立した脳スライス標本からの内在性カテコラミン遊離測定系を継承して、ドーパが神経刺激に応じて遊離されることを発見しました。従来、ドーパはもっぱら神経伝達物質であるドーパミンの単なる前駆物質にすぎないと考えられていましたので、この知見はにわかには信じがたい現象でした。五嶋と三須はドーパがドーパミンへの変換を介さずに作用を示すかどうかをドーパの遊離を見いだした同じ標本で検討し、ドーパミンとは異なった二相性のノルアドレナリン遊離調節作用を見いだしました。この作用は、促進作用がβ―アドレナリン遮断薬のプロプラノロールで、抑制作用がドーパミンD2受容体遮断薬のスルピリドで拮抗されました。この知見は1986年 British Journal of Pharmacologyに発表されました。しかしドーパの遊離を論文にするまでには、それからさらに2年を必要としました。ドーパの遊離がその合成酵素であるチロシン水酸化酵素の活性化の二次的な現象ではないかどうかを検討することが必要と考えられたからです。チロシン水酸化酵素は当時、脚光を浴びていたカルシウム結合タンパク質カルモデュリンに依存して活性化されることが示されつつあり、電気刺激がチロシン水酸化酵素を活性化し、それがドーパの生合成を増加し、単に漏出あるいはトランスポーターの逆輸送などで外部に漏れ出てきた可能性を否定できなかったからです。このため、五嶋は業者(池本理化)に依頼して作製したリービッヒ管を用い、3-L-ドーパで脳スライスを灌流して生成する3-H2Oとドーパ自体を同時に測定する系を作り、この問題を検討しました。その結果、チロシン水酸化酵素の活性は、意外なことにドーパ遊離が増大している時間ではむしろ逆に抑制していることが明らかになりました。つまりドーパの遊離はその生合成亢進の二次的現象ではないことが証明できたわけです。この結果は先のBritish Journal of Pharmacologyに遅れること2年、Journal of Neurochemistry に発表されました。その後、ドーパ伝達物質仮説を追究すべく、三須教授は教室全体の体制を整え、ドーパ拮抗薬の発見(Goshima et al., J. Pharmacol. Exp. Ther., 1991)(図1)、ドーパが大動脈神経から孤束核への入力、吻側および尾側腹外側延髄への投射ニューロンの神経伝達物質候補であること (Yue et al., Neuroscience, 1994)(図2)、脳虚血時における遅発性神経細胞死の上流因子であることなどを示してきました (Furukawa et al., J. Neurochem., 2000)(図3)。2006年には、三須と五嶋を編著者とする従来の国内外のドーパ神経伝達物質仮説をめぐる国内外の知見をまとめた”Neurobiology of DOPA as a neurotransmitter”と題する単行本がCRL Pressから出版されました。
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三須はかつてチバガイギー社より客員研究員として来室していた佐々木幸生を助手として招聘しました。佐々木は、五嶋が教授に昇進した後に講師となり、ドーパおよび五嶋がハーバード大学およびエール大学の Strittmatter教授のもとで行った神経軸索ガイダンスの研究の継承的研究に参画しました。五嶋のStrittmatter研究室におけるテーマはアフリカツメガエルの卵母細胞を用いた、成長円錐退縮因子の受容体分子のクローニングでした。その後、退縮因子としてコラプシンと呼ばれる分子が同定され、コラプシンの受容体を追究するという形になりましたが、最終的に同定された分子には膜貫通領域がなく、細胞内のタンパク質であることが予想されました。その後、このタンパク質の細胞内局在や分布、抗体による機能阻害実験などにより、この分子が確かにコラプシンの応答を媒介する分子であることが明らかになり、collapsin response mediator protein (CRMP)という名前がつけられました(Goshima et al., Nature, 1995)。この命名は Strittmatterの父君、Philippのアイデアです。Philippは当時、コネチカット大学の生化学主任教授を退職し、息子 Stephenのラボに加わり、数年間研究にいそしみました。この命名には生化学者Philippの謹厳実直な性格が現れていると思います。その後、コラプシンはセマフォリンと名前を変え、最初にみつかったコラプシン分子は セマフォリン3A (Sema3A)と命名されることになりました。
五嶋は帰国して教室を主宰する立場となった後、エール大学医学部のStrittmatter研究室でポスドクとして同僚であった中村史雄を講師として、また九州大学理学部大島研究室出身で、当時国立遺伝学研究所のポスドクであった小倉顕一を助手として各々招聘し、教室の体制を整えました。佐々木が中心となってSema3Aのシグナル下流分子としてチロシンキナーゼ Fynとセリン/スレオニンキナーゼ Cdk5が存在することが発見されました。この報告はNeuron に受理され、その後のCRMPの分子機構解明へとつながる重要な知見を含んでいました。その後、佐々木にトレーニングを受けた大学院生、そしてポスドクの内田が、CRMP2がCdk5とFynの基質となってSema3Aの情報を担うことを明らかにしました(図4)。その頃、佐々木は米国に留学したため、五嶋とほぼ同時期にハーバード大学で留学経験を共有し、細胞の局所領域における分子ターゲティング技術を有する竹居光太郎を東邦大学医学部より助教授として招聘し、2003年頃には成長円錐や軸索ガイダンスの専門家集団として教室の体制が整いました。五嶋はSema3Aシグナリング、Sema3Aによる軸索輸送亢進作用やCRMPの生理機能について、竹居は成長円錐内のカルシウムシグナリングや局所タンパク合成系などについて、中村は軸索ガイダンスにおけるチロシンフォスファターゼの機能について、小倉は線虫における軸索ガイダンス分子の局在制御機構について、各々研究を展開しながら、各々が相互に協力し合って一丸となった特色ある研究を行っています。
五嶋の帰国と教授就任を契機に、本教室にてSema3Aの情報伝達機構とその生理作用の研究が展開され、Sema3Aの軸索輸送の亢進作用 (Goshima et al., J. Neurobiol., 1997; 1999; Li et al., J. Neurosci., 2004)、肺の分岐形成制御作用 (Ito et al., Mec. Dev., 2002; Kagoshima et al., Genes to Cells, 2004)、樹状突起スパインの成熟作用 (Morita et al., J. Neurosci., 2006) が次々と見いだされました。
Sema3Aが神経軸索輸送を亢進することの生理学的意義は何か?本教室ではこの問いかけを契機に様々な取り組みを行いつつあります。その一つに、小倉は、線虫UNC-51を同定した経験を背景に、UNC-51が神経軸索ガイダンス分子の一つネトリン/UNC-5の局在制御にも関わっていることを示しました。重要なことはunc-5とunc-51との間に遺伝的相互作用があることです。このことはunc-51で観察されるガイダンス異常の少なくとも一部は UNC-5分子の局在制御の異常に基づくことを示しています (Ogura and Goshima, Development, 2006)。一方で、Sema3A刺激においてもその受容体分子であるニューロピリン-1, プレキシンA4の局在がダイナミックに変動することが観察され、ガイダンス分子とその受容体の局在制御には未解明の様々な重要な機構が存在するものと考えられます。
ドーパについては、現在、その受容体のクローニングが模索され、現在も研究が続行されています。留学した佐々木の後任として京都大学薬学部から衣斐督和、続いて塩野義製薬より矢上達郎が助手として招聘され、かつて宮前が線虫のcDNAライブラリーより同定したクローンが新規Gタンパク質連関型受容体であること、そして従来予想されていなかった物質をリガンドとする受容体であることを見いだしつつあります。
(文責:五嶋)
現在進行中のプロジェクト
1.ドーパ受容体のクローニング
新規の生体内活性物質の検索とその受容体の同定は生命科学の最も重要な課題であるだけでなく、創薬と臨床応用に結びつく可能性を秘めています。 1986 年以来、本研究室においては、世界に先駆けて、従来単なる神経伝達物質ドーパミンの前駆体と位置付けられてきた L-ドーパ(ドーパ)が、それ自身で神経伝達物質ないし修飾物質として働くことを示してきました(Misu and Goshima, TiPS 14; 119-123, 1993; Misu et al, TiPS 23; 262-268)。この一連の研究は、ラット脳スライス灌流標本において電場刺激がドーパの遊離を引き起こすことを発見したことに始まります。「前駆体であるはずのドーパが遊離する」などと一体誰が考えつくでしょう。つまりこの仕事は生のデータを良く観察することの重要性を物語っています。もしドーパが伝達物質であるとするなら・・・・。先人たちの築いた伝達物質という概念に沿って検証を進めてきました。その結果、ドーパが従来知られている神経伝達物質と同様に電気刺激で遊離され、その遊離はナトリウムチャネル阻害剤のテトロドトキシン(フグ毒)で阻害され、外液からカルシウムイオンを除去すると殆ど起こらなくなることが判明しました(図1)。重要なことは、その後の研究によってドーパが圧受容器反射を媒介する伝達物質であること(図2)、ドーパが、脳虚血時に起こる遅発性神経細胞死という脳神経の障害の増悪因子として働くことを突き止めたことです。実際、ドーパの拮抗薬として私たちが見いだしたDOPA CHEという薬物を前投与すると、死滅する神経細胞の数が激減することを見いだしました。ただ、この薬物はもともとドーパのプロドラッグとして開発された薬物で、体内ではドーパへと変換されてしまいます。もしドーパのこのような作用を抑制するより安定な拮抗薬が開発されれば、有効な脳保護薬になるかもしれません(図3)。 ドーパは生体内で速やかにドーパミンへと酵素学的に変換されます。これはドーパがパーキンソン病という脳内ドーパミンが枯渇する病態に使用される根拠になっています。ドーパが伝達物質であるなら、ドーパミンへ変換せずとも一定の生物学的効果が出るはずです。実際、ドーパをドーパミンへと変換する芳香族L-アミノ酸脱炭酸酵素(AADC)を阻害しても、ドーパはドーパミンとは全く異なる効果を示すことが見出されました。 その後の一連の研究から、ドーパ拮抗薬の存在、神経線維の刺激による遊離と生理学的応答、拮抗薬による阻害、ドーパ含有ニューロンの存在など、ドーパが伝達物質共通の基本的な性質を備えていることの証拠をいろいろとを見出してきました(Neurobiology of DOPA as a neurotransmitter, ed. by Misu and Goshima, CRL Press, 2006)。つい最近になり、ドーパ受容体候補分子として長らくリガンドが不明であったオーファン型Gタンパク質連関型受容体がドーパをリガンドとして認識することが明らかとなり、ドーパ神経伝達物質仮説の最終的な証明に向けて大きく一歩前進しました。薬理学の教科書が塗り替えられる日も間近と考えています。![]() 図1 |
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2.細胞内軸索ガイダンス制御分子 CRMP の生物学的機能
神経突起伸展と特異的回路形成の過程には時間的・空間的に制御された様々な細胞−細胞間の認識機構、細胞内分子間の相互作用が存在すると考えられています。しかし、その分子機構の詳細は不明です。神経突起の伸展制御には大きく誘引と反発の2つの作用が関わる事が明らかになっています。私達は反発性分子であるセマフォリン(コラプシン)の情報を媒介する分子としてCRMP(Collapsin Response Mediator Protein)を同定しました(Goshima et al, Nature 376, 509-514, 1995)。同分子の作用機構はしばらく不明のままでしたが、 最近になり複数の研究室から報告が相次ぎ、多くのことが明らかになりつつあります。私達は線虫および哺乳類CRMPと相互作用する分子のスクリーニングを行っています。軸索伸長制御、スパイン成熟などのセマフォリン応答に関わる複数のリン酸化酵素を含む細胞内分子を新たに見出しました(Sasaki et al., Neuron 35; 907-920, 2002; Uchida et al., Genes Cells 10: 165-179, 2005)(図4)。また驚くべきことに、CRMPはリーリンという細胞移動、ひいては大脳皮質の形成に関わる細胞外分子のシグナルをも媒介することが最近になって明らかになりました(Yamashita et al., J Neurosci 26; 13357-13362, 2006)(図5)。私たちはすでに5種類存在するCRMPファミリー分子すべての遺伝子欠損マウスを作製し、現在、その表現型を解析しています。そうした研究の中から、分かってきたことは、1)これらの幾つかのCRMPファミリー分子が複数で協調しながら働くこと(図6)。2)各々は異なる機能を持つこと。3)精神神経疾患をはじめ、免疫アレルギー疾患やガンなど病態にも広く関わる非常に重要かつ多様な機能をもつ分子であることです。CRMPと相互作用する分子や制御機構、細胞内局在に関わる分子機構、ならびにアルツハイマー病や統合失調症などの病態との関連性が今後の重要課題です。 さらに本年より文部科学省「科学技術振興調整費」に「翻訳後修飾プロテオミクス医療研究拠点の形成」という課題で採択され、私達の研究グループでは「修飾異常蛋白質の同定、バイオマーカーの開発」というテーマで研究を進めつつあります。具体的には、本研究室において機能解析を進めている複数の修飾蛋白質 (CRMPファミリー分子など)に着目しつつ、病理学、精神科や神経内科教室と共同して、病理組織検体やヒト血液検体を解析、これらの情報をもとに新規バイオマーカー候補を見いだすべく研究を進めています。こうした取組等を通じて臨床研究に有用なバイオマーカーの開発、さらには、本学生命医科学の構造生物学の研究グループと共同して、各疾患に選択的に作用する薬物の創成(創薬)へとつなげようとしています(図7)。![]() 図4 |
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![]() 図6 |
![]() 図7 |
3.軸索ガイダンス分子Sema3Aによる細胞内輸送制御の生理学的役割
細胞が生体内で正常に働くためには細胞の方向性や細胞内外の特定の部位にある決まった分子が局在していることが必要と考えられるので軸索ガイダンス分子による細胞内輸送という現象には様々な制御機構や病態に重要な関わりがあると考えています。 神経ガイダンスという用語は、神経回路が正確に形成される過程における制御を示しています。従来、線虫やショウジョウバエの神経回路形成が異常となる変異体の解析を通じて、神経回路形成に関わる重要な分子が次々と同定されてきました。 1997 年、私たちは、軸索ガイダンス分子のひとつであるSema3Aによって軸索内輸送axonal transportが亢進することを世界に先駆けて初めて報告しました(Goshima et al., J Neurobiol 33; 316-328, 1997)。この生理学的意義は長らく不明でしたが、Sema3Aによる成長円錐での局所蛋白合成にこの細胞内輸送が密接に関わる証拠を得ました(Li et al., J Neurosci 24; 6161-6170, 2004)。この論文は、Nature Neuroscience Reviewのハイライトに取り上げられました。 またモデル生物として線虫をとりあげ、軸索ガイド機構と細胞内輸送との関連を解析しています(Ogura and Goshima, Development 2133; 3441-50, 2006)。 細胞が生体内で正常に働くためには細胞の方向性や細胞内外の特定の部位にある決まった分子が局在していることが必要と考えられるので軸索ガイダンス分子による細胞内輸送という現象には様々な制御機構や病態に重要な関わりがあると考えています。